★反グローバリズム2002新春座談会★

対米テロとアフガン空爆で
世界はこう変わる!
【下】

喜多幡佳秀+篠原良輔+鵜戸口哲尚

2002年 1月15日
通巻 1098号

対米テロとアフガン空爆で世界はこう変わる!

前号に続く座談会の後半部分です。(編集部)   ※座談会【上】へ

【座談会参加者プロフィール】

■喜多幡佳秀/AWSL(アジア労働者連帯機構)日本支部・attack関西支部事務局。アジアの労働運動現場の声を紹介、国境を越えた労働者連帯を模索している。弊紙「海外レポート・アジアの労働運動」を執筆。
■篠原良輔/ロンドンにて旅行代理店・日本ショップを経営。弊紙「海外レポート・欧州編」を執筆。
■鵜戸口哲尚/翻訳編訳書『カンボジアの悲劇』『カンボジアはどうなる』、訳書『オールドパンク哄笑する』(チャ−ルズ・ブコウスキー)他。チモール・カンボジア問題、エイズの運動に取り組む。弊紙「論壇時評」執筆。 

 

アフガン戦争後の世界の行方

■50年の蓄積が崩壊
 篠崎 コソボ空爆のときにも感じたのですが、米・英が、いとも簡単に爆撃機を飛ばして他国をバンバンバンとやってしまうことが許される時代になってしまった。米国に反対するところは国であろうと政府であろうと、簡単に攻撃できるようになってしまっている。第2次世界大戦の反省の上で創られてきた国連や国際ルールが、いとも簡単に破られ、後退しています。
 日本の中でも最低の国民感情として「戦争はやっちゃイカン」というのがあったと思うのですが、スーと破られ「参戦」してしまう。その歯止めがどこにもない。戦後50年かけて積み上げてきた平和の枠組みやルールを一挙に壊し、50年前に引き戻してしまった感じです。
 鵜戸口 1990年代の湾岸戦争でそのモデルができたのでしょうが、その前にニカラグアのコントラ事件のとき、国際司法裁判所で米国がテロリスト国家として有罪の判決が下りました。この判決が下されたのは、歴史上世界で米国だけです。この判決の趣旨は、「世界のいかなる国であろうが、国際法は遵守しなければならない」というものです。この判決の後、米国は「この判決はおもしろくない」と言って、ニカラグアにテロリスト部隊=コントラなどを使ってどんどんいくわけです。同じことをイスラエルが見習い、今回もやっています。国連や各国政府、民衆運動もこの「国際法遵守」を盾に「米国の横暴を許さない」という連携を強めないと、本当に歯止めがなくなります。

■反テロ統一戦線の形成
 喜多幡 今回の特徴としてあげねばならないのは、米国の横暴もさることながら、ロシア・中国・インドそれぞれの利害で反テロ統一戦線に参加し、神聖同盟を組んだことです。この戦争で、ロシアは「これでチェチェン侵攻はチャラ」、中国は「チベット問題はチャラ」、インドはインドで「カシミール問題はチャラ」というように、それぞれ同床異夢ながら神聖同盟に加わったことが、新しい状況です。
 この端的な表現がフィリピン・ミンダナオです。米国は、一時基地撤去までいきましたが、今フィリピンに戻りかけていて、ミンダナオに軍事顧問派遣という形で介入を始めています。逆に言うと、それぞれの国における民族問題をどのように取り上げていくのかが、大きな課題となってくるということです。
 もう一つは、今回の空爆は、グローバリゼーションのいわば軍事版としてあるということです。従来のグローバリゼーションは、経済的な投資の自由化なりを指していましたが、その秩序を守るための軍事的な結束が一挙に作られ、日本に見られるように制約がはずされました。その意味では、原因がどうであれ、この事件の結果が新しい世界の変化を作り出しています。
 従来、多国籍資本の横暴をどう抑えるかということで国際的運動ができてきたのですが、今回これが必ずしもアフガン戦争反対で動いているわけではありません。主体的な問題としては、これをどう結びつけていくのか、これまで経済のグローバリゼーションに抵抗してきた運動が、軍事面でのグローバリゼーションに対してどう闘争していけるのかが、新しく問われています。

■投資会社とブッシュ政権
 鵜戸口 1950年代、「沈黙の言語」という本が世界的に読まれました。著者は、海外に出ていく米国政府職員、企業人をトレーニングしていたE・T・ホールという人類学者です。彼が最も問題にしているのは、「米国は膨大な海外援助をし、投資しているのに、なぜこれだけ嫌われるのか」ということでした。彼は「米国人がいかに自己中心的で他の文化を理解できず、自分たちの価値を押しつけているか」を指摘しました。
 50年前のあり様が、今も全く変わっていません。米国人は世界で嫌われていることは知っているのですが、絶対に認めたくないのです。相手を黙らせ、表に出ないように抑え込んできたのです。それが今回表面化してしまったわけで、今後第三世界で吹き出してくると思います。今回のテロを喜んでいる人は、第三世界の中に相当いると思います。噴出するものに火をつけるのを止めることは、もうできないと思います。一挙に米国が崩壊するというのではなく、崩壊への流れが作られたと思います。
 ブッシュ政権の中で一番危険な人物は、チェイニー副大統領とラムズフェルド国防長官です。両者とも世界最大の投資会社=カーライルグループの重役です。カーライルは軍需産業ではないのですが、突出した最大の投資先が各国の兵器産業なのです。投資会社を通して兵器産業に繋がっているわけです。ブッシュ親子は、石油会社と投資会社と両方関与しています。ラムズフェルドは、空爆初日わずかの時間にトマホークを50発打ち込みました。1発1億5000万円です。数分の間に75億円消費したわけです。アフガニスタンは内戦続きで、本当に標的のない、瓦礫のみの遊牧国家です。そこにあれだけのミサイルを撃ち込むというのは、商売抜きでは考えられません。

国際金融取引への課税要求

■ATTACの動き
 喜多幡 1998年、国際金融取引に課税し、これで得られた税金を環境問題や国際的な貧困の解決のために充てようという趣旨で、フランスの「ルモンドディプロマティック」の編集長が呼びかけて「ATTAC」という組織が作られました。2年半の間にフランスでは会員が2万人を越え、全国で200以上の支部が作られています。日本でもつい先日首都圏と関西で支部が結成されました。
 1997年のアジア通貨危機を契機として、国際金融取引が何の制約もなく国際経済を攪乱し、貧困を加速している状況をもはや放置できないとして提案されました。不平等な国際経済関係を断ち切るためには、投機資金に対する課税、債務の帳消し、タックス・ヘブン(脱税のための資金移動)禁止が必要であるとの主張です。
 グローバリズムに反対するさまざまな団体が協力しており、例えばマクドナルドを攻撃して話題となったフランス農民運動組織や、ブラジル農民運動、あるいは遺伝子組み替え作物に反対するグループなどが中心です。それぞれの分野の専門家が集まり資料や分析を提供し、地域のレベルで徹底した宣伝・学習を行っています。その成果として、11月19日にはフランスの国会がトービン税を可決するまでに到っています。
 日本では、週刊のニュースレターを翻訳し、主に電子メールを通じて配布しており、各分野の専門家を講師として招いた学習会を予定しています。また、今年1月末、ブラジルのポルトアレグレで開かれる「世界社会フォーラム」に日本から代表を派遣する予定です。フランス発の運動ですが、日本独自、あるいは関西独自の運動スタイルを作っていきたいと思っています。

■戦争国家に引きずられる世界
 鵜戸口 日本ですが、1990年代後半からなし崩し的に次々と反動的な法律が成立しました。オロオロとしている間に国会を通過し、とどめが今回のテロ対策法で、一挙に自衛隊派遣まで進みました。米国内の反グローバリズム運動は保守の運動も含め非常に複雑で、彼らとの連携は当然必要なのですが、米国は完全に戦争国家になっているわけです。その戦争国家に世界が引きずられています。ここははっきりと反米を出していかないと駄目だと思います。
 特に日本が危険だと思うのは、アーミテージが言った「ショー・ザ・フラッグ」という言葉を慎重に受け止めた人々と、「これを利用して一気に行け」というグループがいっしょになってここに至ったことです。しかし、米国は日本に軍事的な貢献は全く期待してなかったと思います。パキスタンへの経済援助の肩代わりを求めていました。米国は常に、世界に自分の味方なのか敵なのかを迫ります。それが「ショー・ザ・フラッグ」の日常会話的な意味です。だから、「米国は世界の平和と民主主義を破壊する戦争国家なのだ」と規定することが必要だと思います。
 米国が戦後50年間に爆撃した国は20ヵ国で、800万人が犠牲となり、うち90%以上が民間人なのです。世界中を爆撃して廻っている米国の現実をしっかり伝えるべきです。米国の「自由」とは、横暴な一方的押しつけ、市場の暴力であり、「正義」も軍事的制裁という名の暴力なのです。
 喜多幡 どうしてすんなりと戦争法が通っていったのかという理由を考えてみると、戦争のリアリズムがなくなり、第2次大戦の悲惨さを訴える主張が入らなくなっているということがあります。今は、ボタンを押せばミサイルが飛んで敵をやっつける。その戦争で自分の身が危険にさらされることはない。こんな戦争のイメージが、メディアによって作られています。CNNが流す戦争とは、結局米国に犠牲者はでず、目標には見事に当たるというものです。こんなものはウソです。たまたま当たったものだけを発表しているわけです。徹底的に計画して報道がなされていて、しかもそれが受け入れられているのです。戦争というのは人が殺し合うものであり、一般市民が犠牲になるという戦争の現実の姿が見えなくされてしまったということです。
 もう1つは、「人道的介入」というロジックに惑わされていることです。欧米では、ナチスのユダヤ人迫害を止められなかったという反省から人道的介入が語られ、社民勢力も含めて肯定しているわけですが、我々はこれにきっちり反撃できていないと思います。戦争反対の論理が古いままなのです。
 鵜戸口 戦争のイメージということですが、国連難民高等弁務官事務所は、この冬に今のままではアフガンで850万人の餓死者が出ると発表しています。また、イラクでは、爆撃後の経済制裁でWTCでの犠牲者と同じ数の子どもたちが毎月死んでいっています。スーダンでも全く同じで、医薬品工場が爆撃され薬品不足のため毎月数百人単位で死ななくてもいい人が死んでいってます。これらはほとんど報道されませんが、戦争被害というのはこういう形で続いているのです。日本の太平洋戦争でもその犠牲者の大部分は餓死なのです。戦争は、闘いでの死よりも餓死で死ぬものだということを子供たちに教えないといけません。

左翼を超えた国際連帯の模索

■NGOの国際連帯
 編集部 反グローバリズム運動では、世界のNGOが国際ネットワークを使い大きな役割を担っていますが、日本はひとり取り残されているように思いますが…。
 喜多幡 欧米のNGOと比べて日本のNGOが見劣りするということはないと思います。NGOは、それぞれ専門的な知識・情報を持ち、テーマごとに国際的な連携を持っています。それぞれの領域で、日本のNGOもがんばっています。違いは、市民運動や労働組合が反グローバリズムのNGOと繋がっていないことです。ヨーロッパなどでも呼びかけはNGOが行いますが、動員の多くは労働組合です。これが日本では決定的に弱い。端的に言えば、連合がいろいろと方針は掲げていますが、実際の運動をさぼっているということです。
 篠崎 フィリピンのNGOの人たちと交流して感じたことですが、お互いの自己紹介で、日本側は自分たちが具体的にやっていることを話すのが精一杯なのですが、彼らはフィリピンの全体状況からきちっと話します。自分たちがやっている農村開発のプログラムなどを、大土地所有制度で農民が抱える問題や日本のODA開発の問題などの全体政治状況の中に位置づけて話します。もちろん、政治状況も日本とは違ってはいますが、自分の運動を語るときのスタンスの違いは大きいと思いました。
 日本ではいろいろあって、1970年代以降、政治や全体状況を語る人と、具体的に現場でしこしこやる人たちが分離してしまったままです。政治をやっている人は「遠くまで行ってしまう」、一方現場でしこしこやるグループは「生活に近い所で個別に限定してやろう」というふうに。

■閉じこもり左翼
 鵜戸口 同じようにグローバリズムという言葉自体が、日本では大衆的には認知されていないのではないでしょうか?街の市場や商店街がさびれてシャッターばかりが目立つようになりましたが、これがグローバリズムの結果だとは誰も考えていません。景気とかデフレとかで理解しています。一方農業関係者は、現状の問題をすんなりグローバリズムの問題として理解しているようです。欧米では、農民が反グローバリズム運動の軸にすらなっています。
 当面は、食品の安全性の問題や環境問題など個別のテーマで戦線を広げていくことが重要なのではないでしょうか。
 喜多幡 身近な問題から入って、そこから政治的な問題を引き出してくるという能力をみんなが蓄積していかないと、いくら立派な情勢分析があっても役に立たないと思います。そのための素材はいくらでもあるし、繋がっていく運動体もいっぱいあります。左翼が自分たちの世界に閉じこもるのではなく、そういった運動にどんどん出ていって、互いにプラスになるような関係を築けるかどうかが問われていると思います。
 鵜戸口 私たちが今要請されているのは、喜多幡さんが左翼批判としておっしゃったように、生産力と軍事力を金科玉条にした貧困な冷戦的思考方法を脱却することではないかと思います。にもかかわらず、アメリカは冷戦的発想をブリ返しまいました。
 確かに、日本には「戦争はしてはいけない」という考えが伝統的にあったし、それなりに根付いてきていたはずです。昭和初年代の左翼には、「戦争に反対する戦争」という発想がありました。今こそ、この発想がいるのではないかと思います。ここでいう「戦争」とは、ビン・ラディンのいう「戦争」でもなければ、赤軍派の「世界戦争」でもありません。各国民衆がアメリカ国民も含めて自国政府に対して「戦争」あるいは「戦争協力」に対して「ノー」と言い、「アメリカは嫌だ」ということだと思います。
 グローバリゼーションの負の側面が、ついには戦争を「自由と平和」と言いくるめるしかないところに追い込められたということであり、実体は、アメリカ人の生命は何十万何百万ドルの保険価値であり、第3世界の民衆の命はミサイルのとばっちりを食らう石ころほどの価値しかなくなった世界が来たという厳粛な事実ではないでしょうか。

(おわり)

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