絶対零度の衝撃と戦慄(上)

過去半世紀の合衆国政府による

血塗られた犯罪のクロニクル

ラリー・モスケダ(エバーグリーン州立大学)

2001年 10月5日
通巻 1089号

資料・世界各地の論評

 米・英軍によるアフガンへの大規模な空爆が開始され、地上軍特殊部隊の侵攻が準備されるなど、「報復戦争」を名目にブッシュ政権は長期的な戦争の泥沼へ足を踏み入れた。「テロ事件」の衝撃を利用して「正義」を振りかざすブッシュの恫喝に反比例するかのように、世界各地で反戦・反米の声が巻き起こっている。本紙ではこうした動きと共に、「報復戦争」に関する世界各国の論評や問題提起を紹介していきたい。第1回目は、過去のアメリカの歴史的犯罪を明らかにするラリー・モスケダ(米エバーグリーン州立大学)の論評を2回に分けて掲載する。

 すべてのアメリカ国民と等しく、9月11日の火曜日、私は世界貿易センターのツインタワーがハイジャックされた航空機に突撃され崩壊し、おそらく1万人に上ると思われる罪のない人々が死亡するのを目の当たりにして、衝撃を受け戦慄を覚えた(別表参照)。

イラクで20万人
 1991年の1月16日以降、あれだけの衝撃を受けたことはなかった。それは当時の大統領ブッシュがバクダッドのみならずイラク各地を攻撃し、その〈戦争〉(=虐殺)中に20万人の人々の殺戮を開始した瞬間であった。これには、合衆国パイロットによる退避・退却するイラクの一般市民と兵士に対する文字通りの追い討ち空爆が行われた、虐殺の最後の日々のあの悪名高い「屍(しかばね)の道」も含まれている。
 私はイラク制裁にも戦慄を覚える。なぜなら、100万人以上のイラク人犠牲者を出したからである。そこには50万人以上の児童も含まれるが、それに関して前国務長官オルブライトは、その死者に対し「当然の報い」と言い放ったのである。
 私は生を受けて以来ずっと、合衆国政府の各種軍事行動には衝撃と戦慄を覚えてきた。40年にわたってアメリカが擁立した独裁政権による1954年のグァテマラ民主主義に対するクーデター然りであった。アメリカが資金援助したこのクーデターは、120万人の小作農の死を招いた。
 さる火曜日の事件は、1973年、合衆国政府がサルバドール・アジェンデの民主的政権を転覆するチリのクーデターに資金援助し、またもや合衆国市民を含む3万人の人々の殺戮に手を貸したときに感じたあの衝撃を私に蘇らせた。
 さる火曜日の事件は、合衆国が1965年にインドネシアのクーデターに資金援助し、80万人以上の殺戮を招き、その後1975年に大統領フォードと国務長官ヘンリー・キッシンジャーの直接共同謀議によって、インドネシア政府が25万人を超える東チモールの罪なき人々を虐殺したときに感じたあの衝撃と恐怖心を脳裏に蘇らせた。

米政府・軍・CIAが関与した戦争・内乱の犠牲者

時 期

事 件

内  容

犠牲者

方  法

1952-79 イランクーデター 傀儡パーレビ 国王を擁立 7 万人 援助による秘密警察 と軍の増強
1954 グァテマラ・クーデター 小作農の死 120 万人 クーデターへの資金援助
1954-75 ベトナム 戦争 米軍による空爆 ・ 地上戦 400万人 直接戦争
1970〜現在 アンゴラ 内戦   100 万人 資金・ 軍事援助
1965 インドネシア・クーデター インドネシア共産党員を中心に虐殺 80 万人 資金援助
1973 チリ・アジェンデ 政権の転覆 左翼政権の転覆 3万人 資金援助
1975 チモール虐殺 インドネシア政府 ・ 軍が行動 25万人 フォード 大統領とキッシンジャーの直接共同謀議
1980 ニカラグア コントラを使った攻撃・ 内戦 3 万人 米国 でコントラを 訓練
1980 年代 エルサルバドル 内戦 8 万人 独裁政権に武器・資金を提供
1982 サブラ・シャティーラ 村民 虐殺 キリスト 教 右派 民兵 千人 イスラエルの共謀と指揮
1980 年代 レバノン 侵攻 イスラエル軍侵略 数万  
1980 リビア 爆撃 ミサイル攻撃 不明  
1983 グレナダ 侵攻 空爆 ・地上軍 不明  
1989 パナマ 侵攻 ノリエガ 逮捕 8000 人 米軍直接侵攻
1991/1/16 湾岸戦争 イラク・バグダッド 攻撃 20 万人 空爆・地上軍投入
退却する市民と兵士に対する追 い討ち作戦「屍 の道 」 100万人 オルブライト国務長官 「当然の報い」
その他 ソマリア 米軍とCIAによる軍事行動 数十万人  
ハイチ  
アフガニスタン  
スーダン  
ブラジル  
アルゼンチン  
ユーゴ  
  2次大戦後 、 米国のテロと軍事作戦によって殺害された人数は

    800人以上

90%は民間人

 また、1980年代、ニカラグアに対し、合衆国の資金援助を受けたテロリストであるコントラが戦争を仕かけた(常設国際司法裁判所は、1984年にニカラグアの港湾封鎖に対し合衆国に戦争犯罪人という判決を下した)ときに感じたあの衝撃と戦慄の記憶が蘇ってきた。あの戦争の結果、3万人以上の罪のない人々が死亡した(合衆国政府は「間接的被害」という言葉で糊塗する以前は、この民間人犠牲者たちを「無防備な標的」と呼んでいたのである)。
 1980年代に合衆国がエルサルバドル国民に対して仕掛けた戦争の戦慄の記憶が蘇った。あの戦争でも八万人という桁外れの死者、いや「無防備な標的」が犠牲になった。

アンゴラで100万人
 1970年代に始まり今日に至るも続いており、100万人以上の人々が死亡するか手足を切断した南部アフリカ(特にアンゴラ)の諸民族に対する、合衆国が資金援助をしたあのテロ戦争の時期に覚えたあの衝撃と戦慄が蘇った。1989年のクリスマス・シーズンに、合衆国がかつてのジョージ・H・ブッシュのCIAのパートナーで今や敵対関係に入ったマニュエル・ノリエガの身柄を捕捉する作戦遂行のためパナマに侵攻し、8千人以上の人々を殺害したときに覚えたあの衝撃と戦慄が蘇った。
 1952年〜79年にかけて7万人以上のイラン人死者を出した、合衆国が資金援助した非情なクーデターによってどのようにしてシャー体制が樹立されたかを知って覚えた戦慄の記憶が蘇った。だが、衝撃はそれだけでは収まらなかった。1979年にシャー体制を転覆し1980年代の10年間アメリカ国家の敵となったホメイニ師までが、1970年代のパリ亡命中、CIAの資金供与を受けていたことが発覚したからであった。
 合衆国が1948年以来、生まれ育った土地でのパレスチナ人の権利をほぼ全面的に奪い、対イスラエル支持への「合意を捏造した」手口を知り、その結果パレスチナ人の環境が悪化の一途を辿ったことを知って受けた衝撃と戦慄が記憶に蘇ってきた。イスラエルによる植民が開始された頃、文字通り地球上から何百の町や村が消え去ったのを知って衝撃を受けた。
 1982年にサブラとシャティラの村民たちが、直接のイスラエルの共謀と指揮の混成部隊によって虐殺されたとき、私は戦慄を覚えた。あの日死亡した、公表されていない数千人規模の人々の数は、去る火曜日我々が目にした戦慄の光景に匹敵するものである。しかしあの光景は、アメリカの一般大衆を激昂させるために全国的なメディアで繰り返し流されることはなかった。
 さる火曜日の事件と光景は、レバノンにテロ攻撃を加えた国がイスラエルであり、合衆国がそれを後押ししていたという事実が指摘されることのなかった何万人もの死者を出した、1980年代のレバノンにおける一連の戦慄すべき事件と光景に比肩すべきものであった。この地域で一体誰が侵略者であるか、に関する報道の際の、批判意識の欠如した主流ニュース解説者たちの「占領地域」の「イスラエル入植者」の扱いぶりには、私は今なお唖然とし続けている。

ベトナムで400万人
 もちろん、20世紀後半の最大にして最も衝撃的な戦争犯罪は、1954〜75年のインドシナ、特にベトナムへの合衆国の攻撃であったが、ベトナムでは400万人を越える人々が爆撃とナパーム攻撃を受け、蹂躪され射撃され、「フェニックス作戦」(これがオリバー・ノース中佐の出発点であった)で兵士たちに「直接手を下され」て殺された。多数のベトナム戦争従軍兵もこの戦争で犠牲になり、戦功を焦ったが、政策立案者自体はランド研究所のダニエル・エルズバーグによって公表された「ペンタゴン・ペーパー」の中で彼ら自身の言葉で明らかにされているように、自らの軍事行動と政策の犯罪性を知っていたのである。
 1974年に、エルズバーグは、トルーマンからニクソンに至る歴代大統領が、この戦争目的と遂行に関して、合衆国の一般国民に嘘をつき続けてきたことを特筆した。エルズバーグは「我が国の指導者に国民に嘘をつかねばならないと感じさせたのは、アメリカの一般国民の良識の証であるが、アメリカの一般国民がかくも易々と欺かれたのはアメリカの一般国民にとって良識の証とはならない」と明言している。
 1980年代に、合衆国がカダフィの幼い娘の殺害を含め、リビヤ国民を攻撃し爆撃しながら何らの損失をも被らなかったときに、私はまたもや衝撃を受け戦慄を覚えた。1983年に合衆国がグレナダに爆撃を加え侵攻したとき、私は衝撃を受けた。ソマリア、ハイチ、アフガニスタン、スーダン、ブラジル、アルゼンチン、ユーゴスラビアでの合衆国軍隊とCIAの軍事作戦に戦慄を覚えた。このような軍事作戦における死者は、何十万人にも及んだ。

合計800万人以上の犠牲者
 以上に述べたリストは、決して完璧なものでもなければ、包括的なものでもない。容易に入手できるリストに過ぎないし、特に経済人・知識人支配層には耳新しいものではない。それは意識的に一般国民向けの談話や報道からは削除されてきただけのことである。だが大抵、合衆国の軍事作戦による死者が主として民間人である(90%以上)という内訳には、こういう支配層と政策立案者は無知である。第2次大戦後に合衆国のテロと軍事作戦によって殺害された人々の数は、控えめに見積もっても800万人は下らない。もう一度繰り返して言う――800万人は下らないのである。この数字には、負傷者・投獄された人々・祖国を追われた人々・難民などは含まれていない。ベトナム戦争中の1967年にキング牧師は、「我が合衆国政府は対外暴力行使の世界大国である」と明言した。衝撃と戦慄が収まらなかった。
 以上私が書いてきたことは、今週起こった事件の犠牲者たちや、愛する者を失ったり、愛する者が行方不明になっている人々の信用を傷つけ侮辱することなど毛頭意図するものではない。ツインタワーやペンタゴンを爆撃した者たちの凶行をいささかでも正当化する意図はない。私の意図は、この事件を1つの流れの中に位置づけることである。
 この凶行を「狂人」のなせる業と信じるならば、凶行者たちは100人以上の人々の間で2年ないしそれ以上の期間、秘密を保持できる「狂人」たちである。なぜなら、彼らは極めて複雑な計画を遂行すべく鍛練を積んでいたからである。一方、狂人の犯行でないとすれば、その正体にもよるが、それは真の抗議の大儀を抱いているかも知れないが、その行為は許すべからざる「狂信者」のなせる犯行であることは明らかである。

 (つづく)

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