【シリーズ】臨界点からの反撃

大人と子どもの今」(上)

鵜戸口哲尚

2000年 6月25日
通巻 1047号

子どもたちはキレる

だが、大人たちはキレない

■3年前の酒鬼薔薇の影響

 5月に入って「子どもの日」を挟んだわずか1週間足らずの間に、3件の事件があい続いて起こり、17歳の少年が殺人罪で2人、殺人未遂罪で1人逮捕され、日本列島を震撼させた。バスジャック犯の場合、3年前の酒鬼薔薇の影響が如実である。衝撃の深度と感染力の強さにおいて、人々に酒鬼薔薇の記憶を鮮烈に蘇らせるに十分であった。「あの事件からもう3年経ったのか……」という声と「まだ3年しか経っていないのか……」という呟きが、巷間で相半ばして聞こえてくる。この「もう」と「まだ」の径庭に現代日本の置かれた状況が象徴されているかのような気がしてならない。あたかも、あの当時14歳の酒鬼薔薇が3年を経て、不死鳥のようにミレニアムの日本社会に復活したかのようだ。
 バスジャック犯は3月に精神病院に入院する直前、警察庁・文部省・首相官邸・NHKに手紙を送付し、「L」という血文字を添えて、「マチハチノイロ」「我革命を実行す」と書いていた。この「革命」とは一体何であったのだろうか?
 今からすると、オウム真理教が警察の一斉捜査を受ける直前、教団青山総本部ビル屋上から垂れ下がっていた垂れ幕に書かれていた「地下鉄サリン事件日本行方知らず」(95年)という言葉と、酒鬼薔薇の「さあ、ゲームの始まりです」(97年)という無気味な予言的響きを湛えた言葉は、鬱積した感情が蔓延する90年代日本の俗間を引き裂く痛烈なメッセージだったのではないかという思いに駆られる。無論、彼らの犯行を首肯するのではないが、いつの時代にも犯罪者の心奥に宿った切迫した表白が時代のメッセージであり写し絵であったことは、夙に多くの智者が指摘してきたことである。

 

■刑法的に性急に見直す意味


 周知の如く、不幸なことにこの国は2つのメッセージを正面から受け止めることができず、マス・ヒステリーの方向にひた走り、このメッセージの抹殺と押さえ込みにかかった。だが、さすがに陸続する少年たちの異常犯罪の報道に疲れたのか、今回は母親・家庭・マスコミ・学校に責任転嫁する論調は大方鳴りを潜め、少年法改正にまっしぐらである。
〔カット〕肩車 その中で、オウムに関しては、『世界』(5月号)が「オウム問題―私たちが問われている」というレポート+論文が目を引いた。また、「少年法改正法案」の国会審議入りに先立って、大阪弁護士会は「少年法の……理念を失わせる危険があり、到底、賛同できない」「家庭や地域の教育機能の崩壊など、構造的な議論をすべきだ」「凶悪事件を契機に改正の審議に入るのは……少年法を政争の道具に利用している」という会長声明を発表した。私も全く同感である。
 冷静に聞いてもらいたい。「構造的な論議」と言い、「凶悪事件を契機に」と言っているのである。私も、近代資本主義社会が作り上げた「子ども」観念、取り分け日本近代における「子ども」観念の形成と、実態としての「子ども」の展開との齟齬に関しては一言あるが、要は、「子ども」を総合的に見直すことであって、「刑法的」にのみ見直すことでもなければ「性急に」見直すことは、事の本質の解決に逆行する事に繋がる。
 バスジャック犯の母親が息子を入院させるときに相談した精神科医・町沢静夫は、温厚な人柄に珍しく語気を荒らげて「大人たちは、子どもたちの苦しみがまったく分かっていない」ときっぱり言い切った。私はオウムと酒鬼薔薇のときにも、事件そのものにも衝撃を受けたが、それ以上に、直接凶行を肯定するのとは違った、広範な若い世代の内面の奥深い位相での共鳴の裾野の広さに衝撃を受けた。今回も、母親は学校・警察・児童相談所・病院・教育センターなどありとあらゆるところにすがって行っている。だが、いずれも表面的な応対に終始し、事実上玄関払いに近い対応に終わり、最後には本人の同意がなくても可能な保護入院措置という行政手段に訴えるところに行き着いている。

 

■信じられるのは自分だけ

 5月16日付け「毎日新聞」(夕刊)は、少年の両親が3月に病院に提出した入院継続を訴える意見書全文を1面トップに掲載した。意見書は少年の精神状況を「しかし、人間不信は根底に有り、信じられるのは自分だけ。他人は信じたら裏切られるだけだなど……心の中の闇、荒れを思わずにはいられません」と述べ、「何とか、自分を取り戻す糸口をつかめるまでは、入院という形で先生方のお力を是非かしていただけませんでしょうか。(改行)息子を助けてやって下さい」と悲痛に訴えている。そして「遺書めいた犯行声明文らしきもの」も、すでに病院に提出していた。にもかかわらず、「犯行」は現実のものとなった……。
 これは何を意味しているのであろうか?この親は、家庭は、責任を放棄したのであろか 私は100万言を費やしても言いたいが、断断乎そうではない。それは崩壊した市民社会の「ウチは違う」「アブナクってしょうがない」という無力で鈍感で無自覚な虚栄の呟きに過ぎない。彼らこそが、少年法の性急な「改正?」という妄挙の大衆的基盤である。
 では、何を意味しているのか?1つは親―子間に、もはや容易には架橋できない深い時代の深淵があるとうことであり、今1つは家庭―学校―地域―警察―医療―行政といった伝統的な共同体が実質的に崩壊しているということである。
 前者に関しては、巷で頻りに耳にする「今の子は……」という言葉が象徴的である。「今の子は……」という以上は、親の世代の成長過程・人間形成過程と等し並みの生活環境が保障されねばならない。だが、80年代以降のどこを捜しても、そんなものはほとんど皆無である。今、17歳の「子ども」が生まれた83年は、ファミコンが発売されたいわば「ヴァーチャル元年」であり、その後ポケベル、携帯電話の普及と続いていく。その間、親は企業中心社会で「企業戦士」であり、子どもたちと過ごす時間、子どもの遊び方、食環境、生活時間、モノとカネの氾濫と環境は激変していたのである。
 それと併行して環境破壊は加速していった。オウムの主力を担った「新人類」の世代をアメリカでは、「ジェネレーションX」と呼ぶが、その旗手的存在であるD・クープランドは爆発的なヒットを飛ばした処女作『ジェネレーションX』(角川文庫)で、その登場人物の1人に「ときどき、両親を催涙ガス攻めにしてやりたくなる。こう言ってやりたい、お2人の、ご清潔で、未来喪失感がまったくなかった育ちがうらやましいよって。それに、世界をブレーキ跡だらけの下着みたいにして、ぼくらに平気で手渡したことで、首を締めてやりたい」と語らせている。
 また、未成年の自殺が相次いだ時期、鎌田慧は全国紙で「大人たちは卑怯だ。だが、生きていれば必ずいいことはある」と切実に訴えた。そして、我が「新人類」世代の鶴見斉は一世を風靡し社会問題化した『完全自殺マニュアル』(1993 年)で「傍観しているだけの80年代の革命家は勝手に挫折感を味わった」と言い放った。もう前世代は、80年代以降の「子ども」の内面的現実を理解できないのである。ただひたすら、社会的政治的等の組織を挙げて遁走する一方で、権柄尽くに伝家の宝刀「法的手段」を振りかざすだけである。
 「革命」はどこに行ったのか?誰が始めるのか?誰が担うのか?誰が本気で信じているのか?
 今や、若い世代との共有軸は「信じられるのは自分だけ」という価値観だけの如き状況だ。

(つづく)

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