「関西制覇」を目論み頓挫した

グリーンコープ・行岡の度し難い堕落(1)

口先では「連帯」「共生」
実際は「覇権・事大主義」

1999年 6月25日
通巻 1014 号

「まるでヤクザの乗っ取り、なぐり込み」―続々と抗議声明

 「お前ら、おとなしくウチの傘下に入れ。言うことを聞かないのなら力づくで潰す」―まるでヤクザの殴り込みだが、これが生活協同組合、しかも「共生」だの「連帯」だのを旗印とする生協の話なのだから驚いてしまう。今、全国の生協関係者の間で、九州福岡に本部を置く「生活協同組合連合会グリーンコープ連合」(以下GC)の専務理事・行岡良治が画策した「関西殴り込み」が大きな波紋を呼んでいる。「恫喝」された関西などの生協が「地域と地域の連帯を基本とする生活協同組合の精神を踏みにじるもの」として反発、相次いで抗議アピールを発信。それによってGCは「関西侵出中止」を余儀なくされたばかりでなく、内部から「行岡独裁体制」への不満が噴出、行岡の責任問題にまで発展しているのだ。
 本紙では以前、新左翼崩れが「関西大学生協」の利権の食い合いの挙げ句に経営破綻した「関西リテイラー」事件、そして関連して、経営民主化を求める労組を力づくで弾圧する関大生協のドン・柴橋の犯罪を暴露した。実は、その際にも行岡は登場している。今回の問題も、伏線としては同じ流れの中の出来事であり同質の問題―「左翼(崩れ)」が経営を私物化、「私欲」や「野望」をほしいままにした―に他ならない。今回の一連の経過を通じて、改めて問題点を取材してみた。
 問題を考えるにあたり、まずそのための材料として、1、生協運動の歴史的経過、2、今回の「GC関西侵出」をめぐる事実経過、3、行岡の活動経歴、についてそれぞれ箇条書きで紹介してみる。

1、生協運動の歴史的経過

◇「60年安保闘争」終焉後の1960年代半ば、運動の「陣地」として、日本共産党と「ブンド」を中心とした反日共系左翼による大学自治会の主導権争いが激化。並行して大学生協をめぐる主導権争いも展開される。
◇大雑把に言えば、京都を境に西は反日共系、東は日共系が抑える。
◇70年代に入り、大学生協を基盤にそれぞれが地域生協へ展開。日共系は「市民生協」を全国的に組織化。
(日本生協連の主流である「神戸灘生協」はこれとは流れの異なる別格、また「生活クラブ」生協なども同様だが、ここではそれは省略する。)
 そして、西の拠点となったのが「関大生協」とその中心人物であり「ブンド」の活動家だった柴橋。柴橋は、毎年新入生から納付される潤沢な資金を元手に地域生協「千里山生協」を組織化、更に、関連して旅行会社や保険代理店など言わば「トンネル会社」を次々に設立して、関大生協の利潤を還流。生協や関連会社に多数の学生運動の活動家上がりを抱え込んだ柴橋は、一時、「運動のスポンサー」的存在となり、関西だけでなく各地の大学生協や地域生協の活動家が、その「ノーハウ」を教えてもらうべく柴橋を訪ねることになる。
 元「ML」の活動家で、熊本大学生協から地域生協・熊本生協を組織化した行岡もそうしたうちの一人。しかもどこでウマが合ったのか、柴橋と行岡は「義兄弟の契りを結んだ」と噂されるほど親密で、行岡は千里山生協の理事就任を画策したり、関大生協の労働争議に柴橋の助っ人として介入したりと、本紙にも度々登場したのは前述の通り。


2、「GC関西侵出」をめぐる事実経過

◇かねてから「どうしても大阪に進出したい」というのが「悲願」だった行岡は、ここ2〜3年で経営が安定してきたのを機に実行を決意、昨年末に、柴橋人脈を通じてつながりのあった「関西生協連合会」(千里山生協など関西の地域数生協の連合体)に「関西GC」の形成を打診。
◇「会員生協13生協、組合員総数29万所帯」の生協が、全部合わせても桁が違う生協に「提携」、しかも商品提携などではなく「関西GC」設立を前提として呼びかけたのだから、誰が見ても金と力を背景とした「まるでヤクザの乗っ取り、殴り込み」(生協関係者)。反発した「関西生協連合会」は協議の打ち切りを提案。
◇慌てた行岡は、手練手管で懐柔を図るも功を奏せず、いったんは連合会に侵出延期を通知。
◇ところがその舌の根も乾かぬうちに、今夏の大阪でのGC設立を一方的に通告、同時に殴り込み部隊「バット部隊」の壮行会を強行。
◇こうした動きに、関西GCの営業対象地域にある大阪北摂高槻生協が反対アピールを全国に公開すると共に、グリーンコープ連合に抗議。連合会や他の生協も抗議声明を公表。
◇GC内部からも行岡の責任追及の声が噴出し、GCは「『大阪展開』計画の中止」を公表。


武闘一辺倒の強引単純なゲバルト隊長

3、行岡の活動経歴

◇行岡の「活動家」としての始まりは熊本大学のML派から。「ゲバルト隊長」として名をはせるも、獄中にいる間にML派が崩壊。
◇出獄後、熊大に戻った行岡は生協に対する国の介入に反対、闘争を指導。
◇熊大生協を基に、地域生協・熊本生協を作るが、労働組合と対立、追放され、分裂組織「共生社生協熊本」を設立。
◇福岡に侵出、「共生社生協たがわ」設立、行岡らは「人民服」を着て闊歩。劣悪な労働条件に抗して組合が結成されると「生協に労組はいらない」と豪語、かつての学生運動のつながりで、京都から「空手塾・厳誠塾」の連中をガードマンとして雇い入れたのをはじめとして、暴力・流血の組合弾圧。
◇1989年、グリーンコープ連合設立に参加。実権を掌握してからは、露骨な「階級制」を導入。職場では名前ではなく「部長」「課長」等の職階級で呼ばせる。ちなみに、それまでの拡大・侵出の手口は、今回の「関西殴り込み」と全く同様。「腹心」と呼ばれた連中もほとんど使い捨て・切り捨て。
◇商品提携を利用、四国侵出を謀り、「ふれあいコープ徳島」の専務理事乗っ取りを画策、自らの専務就任を画策。しかし、現場の反発で失敗するや、一方的に商品供給を停止。


組合員など眼中になし―新左翼崩れの思い上がった「指導者意識」

 こうした事実経過から浮かび上がってくる行岡像は、コンピュータゲームの「国盗りゲーム」よろしく、熊本から福岡、福岡から九州、九州から大阪へ侵出、そして遂には全国制覇を無想する「覇権・事大主義者」、というのが最も自然なところ。そして問題は、にもかかわらずそれが「連帯」だの「共生」だのという名目で行われ、行岡自身もそのことを全く疑っていないだろうということである。(ちなみに、GCが関西中止を決めた後の経過報告の題名は「不戦はGCの原点」「脱皮の主体は連帯」云々。「よく言うよ」と呆れるしかない?)
 ここには二重の「思い込み」がある。1つは、「自分の言っていることは正しいのだから、お前達はそれに従うべきだ」という度し難い「指導者意識」。本紙ではこれまで、歌手・加藤登紀子の亭主で元赤ヘル全学連委員長からエコロジストへ転身、参議院選挙に立候補して説教を垂れまくった藤本某や、北朝鮮に行って「革命家」と持ち上げられて舞い上がり、にわか「主体思想」主義者になった元赤軍派議長・塩見某のどうしようもないバカさ加減―総括もなしに言うことはコロコロ変わるにもかかわらず、唯一変わらないのは何であれ自分は「指導者」なのだという思い上がり―を批判してきた。
 その意味では行岡も同類。行岡にとっては、自分が「連帯」「共生」だと思えばそれが「連帯」「共生」なのであり、本来「連帯」とか「共生」というのは相手との具体的関係の在りようとして問われるのだという、当たり前のことが全く理解できないのだ。今回の一連の経過自体もそうだが、そのことを端的に示しているのが、前述の報告書に出てくる行岡の文書だろう。スペースの関係で紹介できないのが残念だが、まるでカルトを思わせる文書には、関西侵出にかける行岡の思いが縷々つづられている。が、その中にはGC会員の意見や思いが全く出てこないのだ!


粗暴な事大主義がどこででも通用すると思い込んだ行岡のオメデタイ錯覚


 もう1つの思い込みは「生協」という言わば「形」を、これも内容抜きに「善」としていることだ。行岡の経歴に明らかなように、70年以降の運動の後退期の中で所属党派も解体してしまった行岡は、「陣地」としての生協にもぐり込んだ。が、高度成長の歪みが様々な公害問題として顕在化したこともあって、生協運動運動が急成長するにつれ、行岡も生協にのめり込み、やがて「生協」それ自体が目的になってしまった・・・セクト的「市民運動主義者」、ただのダラ幹になった「労働組合主義者」等々、70年以降、現場へ入っていった新左翼活動家の「ナレの果て」はその辺にゴロゴロしている。行岡もまたその1人であることは間違いない。
 話は少しずれるが、最近、既成社会主義の崩壊を受け、未来社会への展望として「協同組合」を評価する声が強くなっている。私たちは、「協同組合」を正しく評価しようという点については異議はないが、「協同」の内実を問わぬ議論には疑義を感じざるを得ない。「形」だけで話を進めると、実態としてはただのスーパーの経営者と同じ、「協同」とは程遠い行岡の如き人間が「先進的」と評されたりする奇妙なことになるのだから。
 そして最後に行岡の錯覚。行岡の最大の錯覚は、九州では通用したかもしれぬ(この問題を機に内部批判が噴出しており、実際には通用していないのだが)単純な「覇権・事大主義」が、他でも通用すると思ったことだろう。その点では、入会者から丸ごと取り上げた膨大な財産を元手に、養鶏の経験を基にした「優性思想=ヤマギシズム」で「世界制覇」を無想したヤマギシが、矛盾を露呈し衰退しつつあるのとよく似ている。
 明らかな時代の転換期の中で、生協運動に限らず、運動のこれまでの在り方と飛躍が問われている。「連帯」もまたより必要とされてくるのは間違いない。しかしそれは、行岡のように口先では「連帯」を唱えながら、やることは全く正反対という悪質分子を、思想的にも運動的にも放逐する以外に実現しないことだけはハッキリしているのではないか。

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