過激にそしてしなやかに 非暴力直接行動で反戦=反核を!

大きな株の会 北海道・谷百合子さん

2003年 12月5日
通巻 1163号

「敵の見えない運動はだめ」

「反対!反対!というのはダサイと言われるけど、敵の見えない運動はダメだと思います」──こう語るのは、北電の株主運動「北海道・大きな株の会」代表の谷百合子さんだ。

 反原発運動を担ってきた谷さんは、青森県六ヶ所村(核燃料サイクル施設)で、仲間の女たちと三ヶ月間テント生活を送りながら、ウラン搬入に対し非暴力 直接行動で抗議すると思えば、北電株主総会に乗り込み、静まりかえった会場内で堂々と原発廃止に向けた株主提案を行う。全体で二時間半の株主総会のうち二時間を同会提案議案の説明と質疑で占有してしまう。谷さんらは、株主の権利として北電に自分たちの提案をすべての株主に郵送させ、合法的に北電株主総会を反原発論議で乗っ取るのだ。

 非暴力に徹しながらも、過激な直接行動で反原発行動を続ける谷さんは、「日本の反戦運動は、あまりに原子力問題について無知・無関心が甚だしい」と批判する。

基地の島・核施設の島

六ヶ所村のほとんどの選挙には応援に行ったという谷さんは、一九九一年、六ヶ所村にウランが搬入される際には、一ヶ月間テントを張って抗議行動を続けた。イギリスのグリーナムコモンで、一九八一年からテントを張っていたアメリカの核ミサイル基地に反対して女たちへの強い連帯を持っての非暴力直接行動だ。

九月の台風シーズンだったため、「期間中、台風が三回来て、神社の木が一四本も折れ、テントが三回飛ばされた」というから、生半可な気持ちでできる抗議行動ではない。

 谷さんが、反原発運動に本気で取り組む契機となったのは、「北海道と新潟・福島東北の原発現地を回り、札束で村が分断されていく現実を見て、原発は、単に危ないというだけの問題でないと思った」からだという。今も原発現地では、選挙で「実弾」が乱れ飛ぶ。 原発は、立地地域の人間関係を引き裂き、町や村の共同体を破壊する―こうした観点から、谷さんは、「沖縄と六ヶ所村の両方を見ないと日本は語れない」と言う。沖縄は、基地の島としての存在を強制され続け、一方六ヶ所村は、プルトニウム貯蔵基地になる。戦争と核の基地に占領された地域なのだ。「基地」によって街が切り裂かれ、地域の一体感や自治が破壊されている。

原子力産業と「核兵器反対運動」の不思議な関係

谷さんは、原子力産業と日本の「核兵器反対運動」の不思議な関係も指摘する。

 こんな事実がある。IPPNW(核戦争防止国際医師会議)は、広島で被爆五〇周年の大会を開いた。ところが、会場となったのは中国電力ホール。会場では、六ヶ所核燃料サイクル施設の宣伝パンフが配られ、青森県医師会長の冒頭スピーチは、その「安全性とすばらしさ」の宣伝に終始したという。

 また、パグウォッシュ会議(戦争の廃絶を訴える科学者による国際的な会議。一九九五年にはノーベル平和賞を受賞)が、広島で被爆五〇周年の大会をを開いた際、原子力産業と電気事業連絡会から二千万円の開催費用を受け取っていたことも判明している。

 こうした事実を指摘して北さんは、「反戦・反核兵器とは言っていても、反原発のことは知らない人が多いのです」と反戦反核運動と反原発運動の一体化の必要を訴える。

 「核の平和利用はウソです。原発は、核兵器とつながって造られてきました。日本だけが違うってことはあり得ない」との指摘だ。

 谷さんの反戦・反核運動は、国内にとどまらない。原発も核もないアジアをという「ノー・ヌークス・アジアフォーラム」にも参加する。ここで谷さんは、韓国の青年が、「日本の原発・再処理工場・プルトニウムがとても怖い」と口をそろえるのを知った。「欧米の反戦活動家は無論のこと、皆、『核=原発』ということを理解しています。原発と核兵器が結びついていないのは日本の反戦運動だけです」との指摘は厳しい。

 ピアノを教えているという谷さんは、年代物のマイカーに乗って現れた。センスのいいショールを身にまとい、自然食レストランでの取材となった。電力会社相手の数々の「武勇伝」を聞いたが、とても剛腕活動家の雰囲気はなく、話し方も穏やかだ。こういう人がハッキリ主張し、行動するから、共感も生まれるのだろう。

 最後に、谷語録の中からひとつ。「『一人だからできないわ』という運動はダメです。一人でもやれるという人が集まらないと、本当の運動にならないと思います」。

人民新聞社

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