人民新聞

性別自己決定権とは無縁の
性別変更特例法案

ひっぴぃ ♪♪(ひびのまこと)

2003年7月5日
通巻 1149号


■ 一見先進的な「特例法案」 ■ 

 今の国会で「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(案)」が成立する見込みです。この法律案は@二〇歳以上、A現に婚姻をしていない、B現に子がいない、C不可逆的に生殖が不能の状態にある、D外見上他の性別に係る性器に近似するものがある、のすべての条件を満たす「性同一性障害者」に対して、家庭裁判所の審判を通じて戸籍上の性別記載の変更を特例として認める法律案です。
 一見すると、とても進んだ法律のように思われるかもしれません。でも、本当にそうでしょうか。
 そもそも「性同一性障害者」って、一体誰のことなのでしょう。
 「性同一性障害」という言葉が日本で使われたのは一九九七年、埼玉医科大学で公然と合法的に性再指定手術(いわゆる性転換手術)を行うためでした。というのも、日本の「母体保護法」の第二八条に「何人も、この法律の規定による場合の外、故なく、生殖を不能にすることを目的として手術又はレントゲン照射を行ってはならない」とあり、「故のある」外性器の手術であること主張するために「性同一性障害」という診断名が使われたのです。
 さてここで、ちょっと考えてみてください。
 例えば、髪の毛を切るのに何かの病名が必要でしょうか。スカートをはくために誰かの許可は必要でしょうか。
 顔の美容整形をするために医者の診断名が必要ですか?ひげの永久脱毛は?乳房の除去手術は?豊胸手術は?ホルモン投与は?
 ではどうしてペニスを切除する手術を受けるには、「性同一性障害」という診断名が必要なんですか?なぜ「生殖を不能にする」手術をしてはならないのですか?
 母体保護法(旧優生保護法:不良な子孫の出生予防 )や刑法の堕胎罪(中絶の犯罪化)、公然わいせつ罪や売春防止法(ストリップや売春の犯罪化:自分の身体を自由に使う権利の剥奪)、最近のところで言えば、「少子化社会対策基本法案」などにみられるのは、「性や身体は本人のものではない」「性は国家/社会のもの」「国家/社会が身体を管理する」という思想です。
 現在は、日本で合法的に性再指定手術を受けることを希望する人は、病院に通って「性同一性障害」という診断を受け、自身でもそのように振る舞うことが強いられています。当然の権利として自由に手術を受けることができないのは、性や身体が、個人のものではなく、国家の管理下にあるべきだという思想や法律があるからです。
 当然の権利を奪っておきながら、「あなたは障害者なんだから特別に手術を認めてあげよう」「性別変更を認めてあげよう」などというのは、何という欺瞞でしょうか。そもそも「性同一性障害」という考え方自体が、性別の自己決定権から始まった考え方ではないのです。

■ 性別二元論No!■

 そして、なぜそんなおかしな考え方が普及しているかと言えば、今の世界ではほとんどの人が「男女という制度」にどっぷりと浸かっているからでもあります。社会は、人々が「男女という制度」に同化することを当然視し、かつそれを自明のこととして強いてきます。
 「人は男か女かのどちらかに分けることができる」「女の人にはオッパイがある」「オチンチンがある人は男だ」という性別二元論。「女を好きになるのが男」「男を好きになるのが女」といった強制異性愛。化粧を典型とし、服装や口調・好き嫌いまで及ぶ「らしさ」の強制。そして女性を二級市民扱いし、女性への暴力を容認する女性差別。そもそも「男と女は違う」だから異なる扱いがあって当然だという思いこみは、「オスバカノンケ」だけでなく、ゲイコミュニティーの中にも、レズビアンコミュニティーの中にも、トランスコミュニティーの中にも、フェミニストの中にも、あまりにも蔓延している。
 人を好きになる時に、性別を基準に人を選ぶのは、言葉の厳密な意味に従っていって「性差別」ではないのか。あなたは、本当に、「男女という制度」を廃止したいのか?
 女の人が「ボク」と自称すると違和感が生じる。男の人がスカートをはくと目立ってしまう。オチンチンのある女の人に違和感を覚え、オッパイのある人を女だと決めつけてしまう。これが、今の「私たち」の社会の姿。だからこそ「典型的な身体」をしている人だけが性別変更が許される、つまり性再指定手術を受けることが性別変更の条件にされてしまっている。
 この性別変更特例法案は、一見するとトランスジェンダーなどの性的少数者の権利を保障する法案のように思えるかもしれません。しかし残念ながら、この法律案は対象を「性同一性障害者」に限定し、あくまで「特例」として性別変更を認めているにすぎません。また、法律婚をしている人や、子供を持つ人を対象から排除し、性再指定手術を必須条件にするなど、現に法的書類上の性別の変更を求めるさまざまな人たちを分断・ランク分けした上で、ごく一部の人に対してだけ恩恵的に性別変更を認めるものです。法律案全体としては、性別の自己決定権を認めたものではなく、むしろ逆に「男女という制度」や性別二元論、そして戸籍制度を延命・強化する法律案だと私は思います。
 しかし実は、「この法律案で救われる人もいる」「今を逃すと、今後しばらく性別変更法案はできない」だから今はとりあえずこの法案を受け入れるほかない、という意見が、トランスジェンダーのコミュニティーの中にも多くあります。ここまで、本当にここまで謙虚な態度、というよりもむしろ「卑屈な態度」をとることを多くのトランスジェンダーに強いているものは一体何なのか。法案が成立するかどうかよりも何より、「男女という制度」を強いる社会を本当に変え、性別の自己決定権を確立していきたいと切に思います。
×  ×  ×
(付記1)これから時々原稿を書かせていただけるかもしれない「ひっぴぃ ♪♪」ことひびのまことです。どうぞよろしくお願いします。私のホームページがありますので、是非そちらもご覧下さい。「http://barairo.net/」。
(付記2)公安調査庁に対して社会運動内部の情報を提供し、そのことを現在も自己批判していない宮崎学さんの文章を掲載するという点では、本紙「人民新聞」の編集方針に、私は反対です。

 

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