人民新聞

脱暴力を呼びかける 第2回

1人でいる寂しさ」と「2人でいる煩わしさ

「男のための脱暴力グループ」  水野阿修羅

2003年 6月15日
通巻 1147号

力を持った「正義」

 釜ヶ崎におけるこの闘争の結果、ヤクザの暴力に黙らされていた労働者が、初めて権利を主張できるようになった。「警察や裁判はあてにならない」と考えていた人々が、「正義」は力なくしては意味をなさない、ということを実感した時でもある。山口組の末端組織の組事務所もいくつか潰したのだが、当時は、「よど号ハイジャック」や「連合赤軍」があり、山口組もわれわれの力を過大評価していたのか、弱者の反抗に敬意を表したのか、上部団体は出てこなかった。
 私の考えでは、警察は両方がケンカして、両方ともつぶれるのを狙っていたような気がする。
 この当時、私には同棲中の彼女がいたのだが、運動に夢中の私は、彼女のラブコールをうっとうしいと考え、男たちの方につきあいの重点を置いたため、彼女は私から去っていった。

「恐怖心」がなくなって

 力に自信をもった私は、だんだん論議することがめんどくさくなった。東京の山谷に行くと、論議ばかりして行動になかなか移らない。「やるかやらんのか、どっちじゃー!」と口を荒らげるようにもなっていった。
 仕事も、港湾荷役から建設とびの仕事をするようになり、危険な仕事を進んでするようになった。お金がいいということもあったが、「男らしい」ということと、「恐怖心」がないということが大きかったように思う。今ほど安全管理がうるさくない時代だったこともあり、安全帯もつけずに、五〇bの高さの鉄塔の上で作業しても、ぜんぜん恐くなかった。
 一方で人の死や、芸術にも心が動かされなくなっていった。「釜共闘」崩壊後、何をしたらよいか分からず、日本中を放浪したりしたが、結局、釜ヶ崎に戻って来たのは、生半かな刺激では満足しなくなっていたからだろう。

連れ合いとの出会い

 パチンコとセックスと異文化(主に朝鮮文化)の中で、自分探しをしていた時に出会った今の連れ合い(中野マリ子)によって、自分を変えることを求められた。私が暴力による威圧をしようとしても、逆に反発される彼女と、どんな関係をつくっていったらよいのか全くわからない。私の中の「男らしさ」の中には、「女をコントロールできない男は情けない」といった規範があった。
 思想的には、ほぼ一致していた(党派は違っていたけど)彼女とは、妊娠・出産を通じて、一緒に住むようになったのだが、些細なことでも、論争になると、「何でこんなに揉めるのだろう?」と思うほどすごい対立になった。
 しかし、前に失敗のある私は、「一人でいる寂しさと、二人でいる煩わしさ」の中で、「二人でいること」を選んだ。      (つづく)

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