【シリーズ】アメリカ国家の犯罪とアメリカ市民の闘い

〜我々がアメリカ国家と闘わねばならない理由7

第1章

日本への原爆投下 [下]

鵜戸口哲尚

 

2002年 7月5日
通巻 1115号

原爆を放棄せよ
 原爆投下を知った2日後の日記に「ほとんど吐きそうになった」と記した文明史家ルイス・マンフォードは、マンハッタン計画に携わる政府・軍官僚機構・科学者集団を「メガマシーン(巨大機構)」と呼んだが、彼は終戦翌年の初めに、その集団に関して「紳士諸君、君たちは狂っている」と題する文章に、次のように書いた。
 「我々アメリカで暮らす者は、狂人たちに囲まれている。…その長たる狂人たちは、将軍、提督、上院議員、科学者、行政官、国務長官、そして大統領の肩書きさえ欲しいままにしている…我々は、なぜ声をあげず、狂人たちがゲームに興じるのを許すのか。それには理由がある。我々もまた狂人だからである。…我々は、狂人たちが今なおこれらの機械を製造していることを知っている。しかし、そのわけを尋ねさえしない。彼らの仕事を止めさせるほどのことをしていない。だから、我々もまた狂人である。狂人の中で暮らす狂人である。…原爆を放棄せよ!放棄せよ!いますぐ止めるのだ!」


ナチスと同列に転落
 原爆関係の当事者たちのさまざまな議事録・回想録・日記類をはじめ、多くの証言を見るとはっきり目に見えてくることがいくつかある。一つは、原爆実験が成功するまでは、それなりに冷静で理性的な判断をしていた人間たちの判断が、急速にまるで悪魔に取り憑かれたように倨傲(きょごう)な自信に変化していくことである。次には、原爆投下を戦後正当化する論理を克明に追っていくと、彼らが必死に投下は正しかったのだと自分に信じ込ませようとあがいていることが分かる。彼らの必死の長広舌とは裏腹に、彼らが当時抱いていた、自分たちがナチと同列に転落する、ナチの毒ガスよりとてつもない所業に手を染めてしまうことになる、という脅えにつきまとわれていることが鮮明になってくる。彼らがマスコミ操作と教育・世論誘導によって、良心の呵責を鎮めようとしたことは歴然としている。
 多くの原爆関係の著作の著者たちは、ローズベルトを擁護したり、トルーマンに同情を寄せている。また、当時の陸軍長官で原爆投下決定の最高機関である暫定委員会の委員長でもあったスティムソンの高潔な人格と現実的理性的な判断が、がんじがらめになっていく状況に同情を寄せている。だが、それは根本的に欺瞞である。権力を持った地位にある多数派とも言える人々が、理性的な判断を現実化できず、幼稚な認識しか持たぬ反日・反ソの猜疑心を煽り立て、怯懦(きょうだ)の裏返しの覇権主義・利用主義を主唱する連中に押さえ込まれ、手玉に取られるとすれば、いかなる権力機構も民主的機構も意味がないではないか。安全保障・危機管理を唱える人々が、実は猜疑心を助長し危機を深めていくというのが、歴史で何度となく繰り返されてきた恐るべきアイロニーである。
 これは、現在の日本の安全保障政策を推進する人々にもそのままそっくり当てはまることである。怖気が差すほど低水準の国際認識しか持っていない者が、官僚・権力機構にまたぞろ紛れ込んでいる。この連中を教化し、彼らの画策と権限を規制することが、安全保障と危機管理の第一歩であることを思い知るべきである。


単なる大量虐殺
 マンフォードの言葉が如何に広い共鳴の裾野を持っていたかは、特にマイノリティーの意見を聞けば明白である。例えば、黒人運動指導者W・E・デュ・ボイスはヒロシマに関して、「今回の戦争でおどろかされ、気が滅入らされるのは、科学と破壊が結びついたことだ。…今では科学が人類を奴隷にするものだと考えられるようになった」と述べ、黒人作家ゾラ・ニール・ハーストーンは、「トルーマンという人物については、アジア人を大量に虐殺した男という以外になにも思い浮かばない」と述べている。また、原爆投下わずか3週間前のアラモゴードでの実験に関してラグーナ・ブエブロ族インディアンのシルコウは、「そのときから、人類はふたたびひとつの家族になった。破壊者がたくらんだ人類の最後、生きとし生けるすべてのものの最後によって結びつけられた。2万キロのかなたにある都市に住む…人たちを滅ぼしてしまう死の輪によって結びつけられた」(小説『悲しきインディアン』)と書いている。
 ある女性は「自分の国が戦争を始めるべきかどうか、まったく発言できない女性や子供が標的にされた」という憤怒の投書を寄せているが、当時のニューヨーク・タイムズ紙やタイムズ紙から一般市民の投書を拾ってみよう。
 「アメリカという国の汚点」「単なる大量虐殺・純然たるテロ」「我々の国が日本とその国民、なんの罪もない数十万の国民にやったことに仰天し、やりきれない気持ちで一杯です」「アメリカ合衆国は本日、野蛮、悪名、残虐の新しい主役になった。バターンの死の行進、ブーヘンバルトやダッハウの強制収容所、コベントリー市の爆撃、リディツェ村の虐殺はどれも、我々アメリカ合衆国の国民が原子爆弾を投下して世界中を陥れた恐怖に比較すれば、ティー・パーティのようにささやかなものにすぎない。…これほどの非道が国民の同意なく行われるのであれば、民主主義とはいえない」。
 アメリカ政府は必死の世論工作を行い、ダブル・スタンダード(二枚舌)と核外交のユニラテラリズムへの道を開いて行こうとする。どんなウソをばらまき普及させたのか?
 最大のウソは、本土上陸作戦によるアメリカ兵の見込まれる犠牲(今では100万神話にまで膨れあがっている)を減らすという名分である。どんな愚かな軍事専門家でも、今も当時も、こんな数字を挙げる者は誰1人としていない。4万人という数字が専門家のほぼ一致した数字である。また、当時、本土上陸作戦を敢行せずとも、もう勝敗の決着は事実上ついており、不必要になるだろうと観測していた軍首脳も多い。つまり、原爆を投下せずとも終戦は間近であったことは、軍首脳部のほとんど一致した見解だったのである。


駆け込み原爆投下
 アメリカ政府のホロコースト派は、対ソ関係で優位に立つことしか頭になかったのである。ソ連の対日参戦を無化するのが最大の目的であったのと、戦後処理で対ソ優位のスタンスを確保することが至上命題であったのである。それは、原爆投下少し前の、スティムソンとトルーマンが爆撃地点を決定するに当たっての、早くしないと米軍の空爆の破壊力の凄じさで、終戦前に投下目標地点がなくなってしまうという悪魔のような会話を見れば、一目瞭然である。一方、スターリンはスターリンで、対日参戦の前に終戦を迎えるのではないかと、懸命に軍の東部戦線への移動を急いでいたのである。
 スティムソンは原爆投下1ヵ月後、トルーマンに言っている「相手が信頼のおける人間になるようにする方法はただひとつ、相手を信頼することだ。相手を信頼できない人間にする確かな方法は、相手を信頼せず、こちらの不信感を相手に見せることだ」と。これは、含蓄のある言葉である。というのは、アメリカ政府の現実主義的良識派の、核開発に関する、ユニラテラリズムか共同管理かという苦渋の選択肢は、スターリンが頭の中で考えていたこととまったく同じだったからである。双方とも、ユニラテラリズムで行けば、底なしの熾烈な核開発競争の火蓋が切って落とされることは知悉(ちしつ)していたのである。
 にもかかわらず、また「マンハッタン計画」に従事した科学者の85%が原爆の実戦使用に反対したにもかかわらず、技術開発のタイムラグを利用して国際政治で優位に立とうというホロコースト派によってヒロシマに原爆が投下され、ナガサキへの投下の日程すら知らされずに2発目の原爆が投下され、慌ててトルーマンが原爆投下を軍にストップするよう命じるという信じがたい事態が招来されたのである。

(つづく)

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