【シリーズ】アメリカ国家の犯罪とアメリカ市民の闘い

〜我々がアメリカ国家と闘わねばならない理由5

第1章

日本への原爆投下 [上]

鵜戸口哲尚

グローバリズムとポストモダン(1)

 

2002年 6月5日
通巻 1112号

ねじれた「平和運動」


ちちをかえせ ははをかえせ
 としよりをかえせ
 こどもをかえせ
わたしをかえせ 
わたしにつながる
 にんげんをかえせ
にんげんの
 にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを
 へいわをかえせ

 これは、言わずと知れた昭和27年に出された峠三吉の『原爆詩集』の「序」全文である。すべて平仮名書きの素朴で簡潔な表現の中に満腔の怒りと万感の慟哭を凝集し、僅か8行の中に7回も「かえせ」という絶叫を繰り返すこの詩は、今なお多くの人々の嗚咽を誘う。
 1945年、8月6日、人類史上初めての大量破壊殺戮兵器としての原爆が広島に投下され、その3日後、長崎に投下された。その結果、両市合わせて348,501名(昨年値)の生命が奪われた。慄然、絶句の数字である。今なお、その数は年々増え続けている。余りにも大きい侵略戦争の代償であった。多数の民間人の生命もろとも軍需施設を破壊されるという、空前絶後の代償を支払わされたのである。この一瞬の中の大量殺戮に対して、敗戦国日本は当然ながら戦勝国アメリカに事実上全く正式に抗議できず、「報い」「酷い運命」として甘受せざるを得なかったのである。酸鼻を極めた地獄絵さながらの惨状を前にして、広島・長崎の県民は茫然自失して焼け跡に立ち尽くすしかなかったのである。
 侵略戦争であったが故に、敗戦国であったが故に、この未曾有の非道な虐殺行為に公然たる批判を向けられず、「二度と許すまじ原爆を」という抑制された言葉に表徴されるように、「平和運動」という捩れ屈折した運動の展開へと道を譲っていったのである。

史上最悪の大量虐殺


 私はここに重大な過誤があると断々固として確信する。日本国民が、アメリカ政府の原爆投下の責任を日米両政府に対して追及できなかったことは、本質的な位相で、日米の民主主義の、ひいては連合国側のすべての国の民主主義の根源的な死を準備することに繋がったと思う。そればかりか、冷戦体制を支えることになるアメリカの国防・外交の基幹となる核抑止政策の正当化と展開に手を貸すことになったのである。35万に達しようという死者に対する、これ以上の裏切りはあるまい。
 私は、近代国家でこれだけ多数の国民の生命を一瞬の中に奪われ、これだけおとなしくしている国民の例を知らない。よく「風化」という言葉が使われるが、そこには「風化」というより遙か以前の認識の問題が横たわっている。〈ヒロシマ〉〈ナガサキ〉は、体験の〈風化〉が問題なのではなく、人類史上最も非人道的な大量虐殺だったという認識上の問題なのである。その証拠に、レーガン・父ブッシュ政権の延長で、現在の子ブッシュ政権に於いて、今まさに恐るべき核政策の新段階を迎えようとしている。それを前にして、原爆体験は「風化」どころか、「無化」されつつあるではないか。
 原爆投下の是非をめぐっては、必死に責任を回避するために、歴史を隠蔽偽造し、焦点を逸らせ、無言の鎮魂という方向に誘導し、最終的には正当化のロジックを容認させるという、時には提携した日米両政府の画策に、日米両国民は物の見事に瞞着籠絡(まんちゃくろうらく)されている。これがさまざまな国際政治の局面を見る日本人の視点をも狂わせ麻痺させてきたことは明らかである。
 原爆投下をめぐる多くの極秘資料が解禁になってきた今日、我々は十分にその責任の所在と実態を掴むだけの材料は整ってきているのである。民主主義とはある意味で、過った時点から歴史をやり直すことである。〈解禁〉というアメリカ民主主義の装置は、アメリカ民主主義の懐の深さを示す側面もあるが、同時に一定の事態鎮静期間を置くという重要な機能も合わせ持っているし、要となる資料が隠蔽・改竄(かいざん)されている疑いも残る。
 よく、トルーマンの原爆投下決定がアメリカの国民世論の趨勢の順風の中で敢行されたというレトリックを用いる者がいるが、それは皮相的には一定正しいが、最低限必要な情報開示もなしに、誘導した世論に責任をなすりつけるのは言語道断であり、それはアメリカ国民を愚弄するものである。

 

バラまかれたウソ

 養老孟司は「武器の進化は、戦争のヴァーチュアル化の歴史だった」と述べているが、その意味で原爆投下は大きな転換点となった。この政策決定過程の真相、それを取り巻く政治・国際環境も含めて、改めて振り返ってみたい。そのために、日米両国民が両国政府の二枚舌の世論工作によって如何に欺かれ、馴致され、良心と怒りを麻痺去勢されたか、そして、それが両国の教科書及び教育・政治宣伝で如何に真実として人々の認識の中に潜り込んでいるかを検討したい。
 その前に言っておきたいことがある。嘗て、スウェーデンの暗殺されたオロフ・パルメは、すべての国家元首が、就任と同時にヒロシマを訪れることを義務づけるべきだと言ったが、私も同感である。それを国際社会に提言する手始めに、日本はすべての国会議員が、就任と同時に〈ヒロシマ〉で現地研修すると同時に、当時の日米の政策決定過程、それに武器開発の歴史とその影響の研修を受けることを義務づけるべきである。
 では、原爆投下に関して、一般国民に流布している、教育・マスコミ・政治家の発言・学界などを通じてバラ撒かれたウソを剔抉する前提作業として、極めて常識的な問いを立ててみよう。
 アメリカ政府首脳のどれぐらいが原爆投下の決定を知っていたのか?そして、知っていた者は、その実効をどれぐらい科学知識として知っていたのか?原爆投下の必然性があったのか?あったとすれば、どのように検討されたのか?原爆の威力を日本政府にどの程度認識させる努力を外交などを通じて行ったか?どの程度の死者を予測したか?広島の後に、長崎が必要だったのか?日本政府は原爆投下情報を、どの程度知っていたのか?知っていたとすれば、どのように対応したのか?等々である。


(つづく)

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