「上田総括」を読んで

次の革命情勢に必ず役に

立つことを信じて疑わない

脇田憲一

2001年 11月15日
通巻 1093号

革命は近いと誰もが思った
 私は「上田総括」を能勢農場の合宿でも聴いたし、冊子になってからも何回も読んだ。共産党の活動といえば「赤旗」拡大か選挙活動しか知らない人たちにとっては、「上田総括」に出て来る戦後の党活動は、あったこと自体が信じがたいだろう。戦後10年間はGHQ(占領軍)の支配と朝鮮戦争の時代で、みな貧乏だったし社会は混乱していた。
 ソ連の軍事力と中国革命の影響で朝鮮戦争が起きると日本はアメリカ軍の後方基地になり、朝鮮の民族独立が成功すれば次は日本の革命だと信じられる情勢であった。革命が近いと党員なら誰もそう思っていた。そう思わなかったら共産党に入らなかっただろう。私は1952年の朝鮮戦争真っ只中に入党し、自分の活動のポジションはすべて革命に直結していると思った。
 だから革命のためなら命を投げ出しても惜しくはないと思ったし、党内にはそういう雰囲気があった。「報いられることを期待しない、限りなき献身」という書記長徳田球一の教えは党員のバイブルであった。戦後左翼と言っても、一部を除いて戦時中は軍国主義者で天皇崇拝者であった。共産主義とスターリン崇拝はその裏返しだという人も多いが、軍国主義は強制だったが共産主義は自分で選んだと私は思っている。
 資本家や支配層の中にも日本の革命は近いと考えた人もかなりいたように思う。だから労働組合、朝鮮人団体、共産党を必死になって弾圧したのである。「上田総括」では「戦後の中で一番大きな問題は思想の問題だ、思想体系の問題だと思う」と書いている。これは戦後の日本革命が実現せず、アメリカの日本支配が「日米安保体制」として半世紀以上続いた結果だと私は思う。戦後日本はアメリカのイデオロギー攻勢に再び敗北した。

イデオロギー闘争の歴史
 「上田総括」に出てくる党内闘争、大衆闘争はイデオロギー闘争の歴史だと私は読んだ。このことは大半の日本人は気がついていない。知らず知らずのうちにアメリカのイデオロギーに犯されてしまっている。アメリカのプラグマチズム、戦後世代の教育の弊害を「上田総括」は鋭く指摘している。分かりやすく言えば白か黒、○か×かの短絡思考の弊害である。成果主義、効率主義の悪病だ。テレビ、電話、パソコンの急速な普及は、若者の思想も生活も感情までも歪めている。人間の衣食住、自然環境まで生態系が狂ってしまった。
 「上田総括」のポイントに、吹田事件(1952年)、相川病院事件(1964年)、農協牛乳事件(1970年)が重要な位置を占めている。これは国際連帯の闘い、共産党からの自立、北摂の陣地戦、持久戦の原点になっている。上田イズムは闘いが人間を変える思想である。思想は理屈では形成されない。強制しても身に付くものではない。闘いの中でしか人間は変わらない。至言である。
 「上田総括」は革命精神の伝承が困難になっていると指摘している。伝える側よりも受け手の側の問題であると言っている。その意味で戦後教育を受けた世代に絶望しているところが感じられる。その点、私の見方は楽天的かも知れないが、人間の問題よりも時代の問題ではないかと思っている。虐げられた人間が止むにやまれず立ち上がることはいつの時代でも同じだ。高度成長は麻薬の時代だったと私は思っている。
 アメリカにイデオロギー的に支配されたこの50年は、日本人がダメになった時代だった。そう考えれば処方箋は見えてくる。「上田総括」はその処方箋となるだろう。実際に役立つかどうかはこれからの受け手の使い方だ。そんな時代がそろそろやってきたような気がする。アメリカの時代は確実に終わった。
 あのニューヨークの同時多発テロがその象徴である。アメリカの尻にくっついた日本の先も見えてきた。若者がビラをとり出したのはその兆候だ。これからが日本人民による革命の復元が問われる。誤解を受けるかも知れないが、革命のためには命を惜しまない人間が必ず出でくる。50年前の時代を思い出すとそう確信する。世界は、そしてアジアの日米支配構想は基本的に何も変わっていないのだ。

日本民衆にも革命的伝統が
 この50年日米帝国主義に虐げられたアジアの人民はずっと闘い続けて来た。日の丸・君が代の復活から、歴史教科書、首相の靖国参拝、アジアの人民は怒っている。日本人民にもアジアの人民と連帯して闘った伝統はある。朝鮮戦争反対、ベトナム戦争反対、そしてアメリカのテロ報復戦争反対運動につながっている。
 日本の民衆には革命的伝統がないとよく言われるが、決してそうは思わない。明治維新の時代は全国で1600件の農民一揆が起きている。一揆の首謀者は勝っても負けても必ず処刑された。そのかわり農民たちは残された首謀者一族の生活と名誉を守った。それらの革命的伝統の再評価、顕彰は50年、100年がすぎても各地で引き継がれている。
 革命運動の総括は、そのとき成功したか失敗したかではない。止むにやまれぬ気持ちがあったかどうか、その教訓が次の世代に繋がるかどうかが大事ではなかろうか。その意味で「上田総括」が提起した問題は、次の革命情勢に必ず役立つことを信じて疑わない。
 最後に、「上田総括」で志田重男を党指導者として唯一評価しているが、正直言って驚いた。上昇志向がなかった人物で、誰にも知られず野垂れ死にしたというが、行方不明後の生きざまが公表されない限り私には納得できない。当時の私たちにとっては輝やける大将のような人物だった。革命家の評価は人民に委ねるべきである。

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