〔意見特集〕テロと報復戦争─あなたはどう思う?

軍事報復のエスカレートは
核テロによる破局へと至る

東拘・和光晴生

2001年 9月25日
通巻 1088号

非戦闘員の死は痛ましい
 ハリウッド映画「パールハーバー」が公開中の日本列島上空を雨台風が通過した頃、アメリカ本土では6000人もの市民・非戦闘員を巻き込み、死に至らしめた同時多発テロが展開されていた。旅客機4機のハイジャック、体当たり自爆作戦によって阪神大震災時の死者数を上回る犠牲者が出た。非戦闘員・民間人の死は痛ましい。旅客機に乗り合わせた人たちもそうだが、突然、空から旅客機に突っ込んで来られた人たちは、さらに痛ましい。
 ある日、突然、空から砲弾が、ミサイルが、爆弾が、という死を私はアラブの地で随分と見てきた分、その痛ましさが身にしみてわかる。アメリカでの同時多発テロの2週間ほど前の8月27日には、パレスチナ自治区のPFLPの公然政治事務所に武装ヘリコプターからミサイルが撃ち込まれ、アブアリ・ムスタファ議長が爆殺されている。アメリカでの同時多発テロと、パレスチナ自治区でミサイルを対人暗殺に使ったテロとは、決して無縁なものではない。
 私は、現在、「1974年在ハーグ仏大使館」「1975年在クアラルンプール米・スウェーデン大使館」占拠による「逮捕・監禁・殺人未遂事件」で裁判中の身である。この2つの「占拠闘争」は目標を大使館員に限定したものながら、民間人・非戦闘員を人質にする形で多数巻き込んでいる経験者としてはっきり言っておくと、非武装の人間を人質にとり、顔を突き合わせているのは決して気分のいいことではない。自らが戦闘要員と闘うことこそが本意としてある。


どれほどの絶望が背後に
 獄中者奪還のための人質作戦を2回行ったあと、私はレバノン南部で対イスラエルの軍事活動に参加すべく、PFLPの軍事部門の隊列に1歩兵、コマンドとして加わる道を選んだ。ジャングルどころか、木立さえ稀なレバノン南部でパレスチナ勢力が展開していた戦術形態は、夜間に敵の軍事基地へ奇襲攻撃を加えることを主要なものとしていた。
 パレスチナ側が1つの作戦を行えば、敵「イスラエル」とそのカイライ民兵は報復として、空爆と砲撃をレバノン人居住区へと加える。戦闘要員と民間人、さらにはパレスチナ人とレバノン人との間に矛盾を創出し、離反させることを狙ったやり口である。私がいたコマンド・ベースも常に砲撃と空爆の標的にされていた。目に見えない相手、姿を見せない相手から突然砲弾やら爆弾やらミサイルやらを撃ち込まれるのも、気分の良いことではない。兵隊にせよ、民間人にせよ、こんなことで殺され、死んでいくのはたまったものではない。
 敵が姿を見せるのは、大部隊による侵攻がなされる時である。パレスチナ・コマンドの前線兵舎に、敵は十倍ほどの人数の部隊を投入する。それがゲリラに対する正規軍の戦闘の基本としてある。それでも敵の姿が見えるだけ、まだ襲われる側としても闘いがいがあるというものである。
 自らは安全圏にあって、敵兵のみならず非戦闘員にまで、砲弾・爆弾・ミサイルをたたき込む輩は、モラルの退廃から自由たり得ない。広島・長崎への原爆投下然り。ベトナムへの枯葉剤・PCB爆弾の投下、イラクで、ユーゴで繰り返された大量のミサイルと空爆攻撃然り。それらが引き起こした無数の死の痛ましさに加え、さらにそのような多くの民間人・非戦闘員の痛ましい死を、敢えて自らの命を賭してまで結果させようと決着した人間が19人もいたことも私にとっては痛ましい。何をもってそんな決起へと至ったのか。どれほどの恨みと怒りと、どれほどの絶望が背後にあったのか。

ブッシュの思慮の浅さ
 多数の市民の死は、ブッシュ大統領をして、報復の戦争を叫ばさしめ、国を挙げて戦争へと突進する事態にいたっている。彼、ブッシュにはそもそもこの「同時多発テロ」が実行者にとっては「報復」としてあったことを考慮に入れることなど一切できないだろう。報復を叫ぶことにより、法による裁きを忘れ、自らがテロリストと同列の地位に堕ち、テロリストは戦争の交戦国へと格上げになってしまうことなど思い及ぶこともせず、自らの失政を隠蔽するために勇ましい言葉をわめき続けるしかなくなってしまっているように見える。
 イラン・イラク戦争のおり、欧米諸国は、どれほどの援助をイラクに与えたか、それで増長したイラクがクウェートに侵攻するにいたったのではなかったか?対イラクということで、米軍がサウジに駐留し続けていることが、「メッカの守護者たるサウジ王家」にオサマ・ビンラディン氏が批判を抱く事態を招いたのではなかったか?ソ連がアフガニスタンに侵攻したとき、イスラム・ゲリラ勢力に無制限な援助を与えたのも欧米諸国ではなかったか?中東和平の枠組みが完全に行き詰まり、パレスチナ勢力と「イスラエル」が自爆テロとミサイルによる暗殺といった報復合戦をエスカレートさせていても、積極的な関与政策を取ろうとしなかったのはブッシュ政権ではなかったか?アメリカがこの間とってきた単独主義・孤立政策は、はっきりと外交上の失策としてあったはずである。今、反テロを叫び、各国に味方なのか敵なのかと関与を迫るのは、思慮の浅さを示すものでしかない。ひたすら自らを「正義」と信じ、それにさからう者を「悪」と決めつける、こんな発想に立つ限り何の解決も得られはしない。


行く末は核テロによる破局
 同時多発テロが多数の市民を殺戮したことにより、敵を分裂させるのではなく、団結させる結果を作った点で、政治的には失敗したテロとなるはずだった。ブッシュは許し難い「人道の罪」として、犯罪として追及することにより、国際的支持を固めることができたのに、報復戦争を叫ぶことにより、テロリストを「聖戦」の当事者へと格上げしてしまったと言える。テロリストの術中にはまってしまったのだ。
 報復のエスカレート合戦では何の解決ももたらさないことは、パレスチナ自治区での悲惨な流血の事態からも明らかである。ハイジャックによるカミカゼ作戦よりも更にエスカレートした行く末は、核テロによる破局となるのは容易に推測できることである。
 アフガニスタンの燐国で核保有国であるパキスタンは、既に、核テロの脅威におびえている。核施設保有国が真っ先に被害者とならざるを得ないのだ。加えて、旧ソ連解体以後、核ウランの密売・拡散は以前から語られてきたことである。旧ソ連、中央アジア諸国からテロリストに流出済みということがあっても不思議ではない。


日本の「主体性」とは何か
 今、日本に、世界に何が問われているのかは明らかである。グローバリズムによるひずみを正し、世界中の歴史問題の清算に向け、あらゆる「人道に対する罪」を問い、世界の人類の叡智をもって解決を与えていく以外にない。
 日本の小泉首相が米国からの孤立を恐れるのは、既に日本がアジアから、世界から孤立してしまっているからと言える。歴史問題の未清算が過去のことのみならず、教科書問題、靖国参拝問題等々、今現在の問題として成立してしまっている。そして、それらに加えて今回のドロ縄での法制定による自衛隊のインド洋への派遣の動きである。アジア諸国はいよいよ警戒を深める。
 日本の将来は、単独主義の米帝に依拠するところでは何の展望も見い出せない。アメリカにあてにされていないところで、なんとか相手にしてもらおうと背伸びすれば、アジアから孤立してしまう。自らの歴史問題に誠意のある解決をもたらすことが、日本に問われていることである。事実、歴史問題については、欧州諸国もアメリカも日本に対し、かなり批判的態度をあからさまに示していた。
 同時に、世界にとっての歴史問題の解決が問われている。本年8月末から9月8日まで、まさにアメリカでの同時多発テロが起きる直前まで、南アフリカのダーバンで開催されていた国連主催の「人種差別反対世界会議」では、中東問題をめぐるアメリカ・「イスラエル」とアラブ諸国との対立に加え、奴隷制・植民地支配の歴史をどう清算するかでの旧「被害国・加害国」間の対立もあって、何ら目ざましい合意が成立しないままに終わっていた。
 この会議が目ざしていた「人道に対する罪」をあばき出し、その解決を世界規模で目ざしていくことが、グローバリズムのゆがみを正し、テロリズムの温床をなくしていく人類の一歩としてあるのではないだろうか。
 ブッシュ政権が推し進めている戦争への道は、歴史を逆行するものでしかない。日本はアジアの一員となることによって初めて、小泉首相の言うところの「主体的であること」を実現できよう。
     (小見出し・編集部)

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