〔意見特集〕テロと報復戦争─あなたはどう思う?

人間が決して

肯定してはならない退廃が…

大阪・S

2001年 9月25日
通巻 1088号

 9月11日の事件を報じるニュースに接したとき、最初は「快挙だ」と思った。ソ連の崩壊以後、以前にもましてひどくなったアメリカの傍若無人ぶりへの、起こるべくして起こった反撃だと思ったのだ。
 しかし、崩壊するWTCの映像を繰り返し見せられているうちに、なにやら釈然としないものが胸の内に澱のようにたまってきたのは、それができの悪いハリウッド映画のような映像だったせいばかりではない。「一般市民を巻き込んだ」という非難は、まずアメリカが強行してきた数々の反人民的介入戦争に対してなされるべきだと思っていても、なおそうなのである。
 ゲリラ兵と多くの労働者を含むアメリカ人の命を粗末に扱う戦術にも、その内部で多くの人が働いているようには見えない機能主義の極致のようなWTCのデザインにも、ブッシュの条件反射のような報復声明にも、事態にかかわる一人ひとりの人間の顔と、固有の生を想像しにくい非現実感があるのだ。うまく言えないが、そのいずれにも、どのような思想的立場に立とうとも人間が決して肯定してはならない退廃が含まれている気がする。突入の瞬間にゲリラ兵は何を思ったろうか。彼らには家族がいたろうか。突然、家族や友人を失ったニューヨークの人々はどのような思いで日々に耐えているのであろうか。それを考えると、いまはただ「戦争反対」としか言えない。
 冒頭の「快挙だ」という感想は、おそらく戦争に反対するアメリカ人にも伝わらないだろう。アメリカの戦争に対する最大の抑止力はアメリカの反戦運動であることは、論をまたない。それを考えると、国家や民族を前提とする相手の土俵に引きずられた感想だったと思わざるをえない。アメリカ帝国主義主導のグローバリズムに対抗できるのは、アメリカも含めた運動のグローバリズムであるだろう。アントニオ・ネグリのように「世界革命の時代だ」とラテン的楽天性で言ってしまうかどうかはともかく、我々は「国際主義」という言葉を何度でもホコリを払って持ち出さなくてはならない。
 そして、国家も常備軍もなく、資本の支配もない社会へ向かう「新たな社会性」の形成を現在的に、自分が現に置かれている諸関係の中で追求すること。現に関わっている運動を、未来の目的のための手段とすることなく、運動とそのなかでの出会いこそが目的であるというように運動すること。
 事態の衝撃に舞い上がることなく、自分なりの原則を再確認しておきたいと思う。

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人民新聞社

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