「6・13西宮事件を考える会」に参加して

稲垣 絹代

2001年 4月5日
通巻 1073号

(→ 西宮事件とは?

 野宿をしている人々が青少年や大人たちから襲撃され、排除される。こんな事実は昔から数多くあり、今も形を変えて続いていることは、関心を持っている者にとっては周知のことでしょう。
 「横浜の浮浪者襲撃事件」や「道頓堀のホームレス襲撃事件」などは、事件の衝撃性もあり、加害者の青少年達と世間一般の人々に働きかける運動として盛り上がったので、マスコミに注目され、今も語り継がれているのだと思います。しかし、この「6・13西宮事件」がそれらと異なる点は、「加害者としてのホームレス」=田中さんにどう関わるかということが加わったことだと思います。
 私はこの事件を初めて新聞で読んだ時、大変な事件が起きたと思いました。殺人罪として当然刑を受けるだろうけど、被害者の田中さんがたった1人で自分自身のおかれた状態を説明できるはずがないと思ったからです。被害を受けてきた人々でさえ、野宿していたこと自体が悪い、ホームレスだから我慢しなければと、多くを語らず、さらに被害を受けないように自衛してきたのではないかと思います。まして、たとえ何回襲撃を受けたとしても、人1人を自らの手で殺めてしまったからには、何を言っても聞いてもらえないと思ってしまうのが普通でしょう。警察や検事の被疑者に対する態度は、強きには弱く、弱き者には強いというのが私の経験上から身にしみていました。
 田中さんのことも、襲撃を繰り返していた少年たちや、亡くなったSさんのこと、事件の詳しい経過も分からなかったのですが、とっさに「すぐ救援活動をするべきだ」と思いました。難しい大変な事件だからこそ関わり、真実や事件の起きた背景を明らかにして、二度とこういう悲しいことが繰り返されないように訴えていかねばならないと思います。
 幸い、多くの方々が同じような想いで集まられたので「6・13西宮事件を考える会」が発足し、3年間の活動が続いてきたのだろうと思います。いろいろな団体や個人の集まりなので、考え方や取り組み方が異なる面もありましたが、ホームレスにならざるを得ない人々の人権を無視してきた行政の責任が大きく、社会一般のホームレスに対する意識が青少年にこのような襲撃事件を繰り返し起こさせているのだということを抜きにしては、この事件は考えられないという点で一致していると思います。
 田中さんと行動を共にしてきた中田さんや、田中さんのお兄さんとの接触も早い時機からとれたので事件の概要もわかり、多くの人たちが公判の傍聴をして下さり、熱心な弁護活動もして頂いたので、もっと軽い刑を予想していました。亡くなられた さんの家族の心情を思うと、しかたないのかもしれませんが「6・13西宮事件を考える会」ができていなければ、この程度ですまされていたかどうか分かりません。
 最近、徳島刑務所からの田中さんの綺麗な分かりやすい手紙を読む機会がありました。
 今までの襲撃事件では亡くなられた人を忍ぶことしかできなかったのですが、田中さんとは幸いなことにこれから共に歩める未来があります。生き直すことができます。
  Sさんの家族に対して田中さんや私たちができることは、同じような事件が繰り返されないためにこの事件が風化しないように、さまざまな活動を続けていくことではないかと思います。
 襲撃を繰り返していた少年たちが今どんな生活をしているのか。彼らには信頼できる仲間がいるのか。共に寄り添っていく大人と巡り合えたのか。田中さんにしか語れないことをいつの日か彼らに語れる日がくればと想いますが……。

 

【6.13西宮事件】 1998年6月13日未明、西宮市の団地内で、長期にわたり再三嫌がらせを繰り返してきた少年たちに、野宿していた田中末光さん(当時47)が懲らしめようと抵抗、その結果、少年グループの一人(18)が亡くなった。田中さんは翌日、「殺人」「傷害」容疑で被逮捕、後日起訴。事件後、「事件が引き起こされた社会状況や背景・人権や教育の問題に目を注ぎ、事件再発防止のため根本的対策を求めて取り組む」という趣旨のもと、「『6.13西宮事件』を考える会」が結成され、活動が続けられてきた。1999年10月、第一審で懲役10年の判決、2000年6月、控訴棄却で、田中さんは現在服役中。

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