【座談会】〜総選挙総括

選挙区で、自公連合に競り勝った
辻元選挙の勝因は、何か?

2000年 7月15日
通巻 1049号

 (2000年)7月2日、人民新聞拡大編集会議を行い、衆院選の総括論議を行った。今号では、大阪10区で自公連合候補に競り勝った「辻元清美選挙の勝因」、「共産党惨敗の原因」についての議論の部分をまとめて掲載する。発言者は、以下のとおり。
Tさん=「辻元清美・中川智子・北川れん子応援団」代表。
Wさん・Oさん=辻元清美選対メンバー。
Iさん・Hさん=拡大編集会議メンバー(元共産党員)ら。
 座談会を通して見えてきたものは、地域に自前の政治的影響力を蓄積してゆくことの重要性である。


【編集部】 選挙としては、明らかに自民党不利という情勢であったのですが、共産党の惨敗に見られるように批判票の受け皿がなかったというのが、全体の評価だと思います。その中で近畿の社民党候補については、市民派と社民党の共闘という形で受け皿を創れたのではないかと思います。特に辻元選挙では、圧倒的に有利と思われた自公連合の石垣候補を選挙区で破ったのは快挙です。
 その意味では次への展望も生まれました。その勝因を探りたいと思います。

☆投票率の押し上げ

【W】98年の大阪府議会選挙では、今回の辻元選挙とほぼ同じ陣容で小沢選挙を闘い、21000票でした。辻元選挙では、これにどれだけ積み上げられるのかというのが大方の見方でした。3万の半ば、倍増しても4万票。ここまで行けば上出来というのが常識的な判断でした。
 自公連合の石垣陣営は5万票台が当選ラインと読んでいたようですが、3陣営(石垣=自公、肥田=民主、辻元=社民)が競り合うという展開は誰も予想していませんでした。
 今回これを接戦に持ち込み、振り切って勝てたのは、辻元さんの2年間の蓄積は無論ありますが、現在の市民運動だけではなく、バラバラになっていた過去の運動の蓄積とそれに連なる人々が結集してきて、これが街の雰囲気になって投票率を押し上げた(大阪府の平均比5%)ということがあると思います。


☆前を向いてイケイケ・ドンドン

【O】辻元選挙では選挙区の市民派議員(高槻市=3名・島本町=4名)がほぼ全員、辻元支持で動きました。また、この地域の様々な市民運動グループほぼ全部が一致したことがまず勝因として挙げられると思います。
 また辻元さん自身は、安保委員会と科学技術委員会に所属して、この1年ずっと政局の焦点だった所にいて活動してきたといえます。その意味では、きっちりと発信すれば自ずとマスコミにも乗るし、選挙でも焦点を合わせ易かったといえます。これに「もう政治家に任せておけない」という市民参加の訴えが届いたのだと思います。
 しかも議員よりも先にその支持者・運動グループが先に動き出すというダイナミックな動きが見られました。市議のなかには、本番になってからと考えていた人もいたと思いますが、それぞれの支持者が直に辻元事務所に集まって動き出したという経過のなかで、市議も動かざるを得なくなったともいえます。
 敵が大きくて、しかもハッキリしていたためイケイケ・ドンドンで前を向いて走ったのが良かったと思います。


☆地域の個人演説会

【O】選挙運動を後の運動に繋げるという意味も込めて、選挙区を5ブロックに分けて各4ヵ所、計20ヵ所の地域で個人演説会を行いました。これは、選対ではなく、その地域の住民が、呼び込み・会場設営から受付まで全部取り仕切るという形でできました。地域の人が友達や隣近所の人に声をかけて、人を集めてくれました。演説会を主催した人々自身が地域に打って出たという感覚がありました。こういう動きが出て、何もかもが良いように転がっていったように思えます。
 正直言って、最後まで票読みはできませんでした。しかし、自公連合の相手候補が票読みをして焦りだしたので、そのくらいいってるのかなと思ったというのが実際です。終盤戦で公明党は全国動員し、野中広務まで呼んできました。
 接戦になると各陣営が党首・幹部を投入するので、高槻では有名人がたくさん来て、ミニ国会が高槻に来たようでみんな面白かったと言っています。


☆公明党との激突

【W】地域での個人演説会に公明党はスパイを潜り込ましていました。出席者名簿を見て、顔見知りや関係団体の人がいれば、翌日から嫌がらせを含めた逆オルグを仕掛けてきました。創価学会と激突したわけです。だからこそ「負けたらイカン」ということでみんながんばったし、最後に競り勝った自信と勝利感はすごいものがあります。


☆蓄積の重み

【T】近畿の社民党は、全体としてはよくがんばったし、成果も上げたけれども、社民党の候補者のなかでの得票数の違いはどこに原因があるのかというのは、運動する側として総括しておく必要があると思います。
 例えば、尼崎も似た選挙情勢であったと思いますが、なぜ冬柴にあれだけの差をつけられてしまったのかという問題です。端的に言って高槻と尼崎の違いは、選挙運動をめぐるものではなくて、時間をかけてしかできないものが辻元選挙の活動のなかにはあったように思います。辻元さんは、2年前に高槻に入りましたが、この2年間、毎週末、歩いて人と話し、辻立ちし続けた蓄積が、選挙戦での自公批判に結びついたのではないかと思います。勝ったのは偶然だと思いますが、自公連合と対等の選挙をするまで迫れたのは、2年間の蓄積抜きには考えられません。
 逆に言えば、私たちは、うまく流れに乗って短期決戦というスタイルに流れがちだけれども、地域に根を張っている人々と日々付き合って厚みを創っていくことの重要性を感じます。
【O】社民党のことで言えば、戦後55年間、60年安保、70年安保を通じて、ずーっと社会党に投票し続けた人がいます。「絶対護憲」ということで支持し続けました。ところが、これらの人々はこの5年間眠っていたのです。勝手に社民党と民主党に分裂して、路線を転換し、彼らに一片の釈明もなくこれまで来ているわけです。辻元選挙では、これらの人々が大量に集まってきました。選挙区だけではなく、滋賀や京都からも応援に駆けつけてくれました。「社民党として胸を張って運動できるのが嬉しい」と言われてました。
 この人達とは、大事に永く付き合わねばと思っています。社民党は組織的に動く党ではありません。地域で人との関係を大切にし、力を蓄積したいと思っている人達が、これらの人々としっかり組んで、どんな運動を展開していくかが重要だと思います。


共産党は、なぜ惨敗したのか?


☆大衆運動の欠落

【I】開票直後、共産党は、志位も不破も敗因について問われて謀略ビラの非難に終始しました。言い訳にしか聞こえません。敗因を外部に求めることを言うようでは駄目です。
【H】今の共産党には、大衆運動が全くありません。昔は、選挙あるなしに関わらず地域を歩いて地域の問題を提起して支持を拡大するという活動がしっかりありました。だから謀略ビラなどは昔からあったけれど、はね返していた。問題は、しっかりした大衆運動を地域でやれているかどうかでしょう。


☆組織体質の限界

【T】今回の共産党の惨敗は、謀略ビラのせいでもないし、今回だけの一時的なものでもないと思います。日常のなかでの共産党の存在感がなくなっています。安全なことしかしない、中央から言われたことしかしない、というなかで、上の賢い人がいくらうまくソフトに言っても、現場での人とのつきあいのなかで党の存在が解体していっています。
 私は、能勢のダイオキシン汚染を追及する住民運動に関わって、共産党の町会議員や活動家と付き合って思うのですが、上で決めたことを決まったパターンで徹底化することについては、議員を中心にやるけれども、住民や支持者が抱えている具体的な問題について、自分の頭で考えて、周りに訴えて、拡げていくという活動がほぼ皆無になっています。これは、能勢だけではなく全国的にそうなっているように思えます。
 共産党くらいの組織力があれば、本来住民運動のなかで中心ないし重要な一翼を担ってさまざまな役割を果たせるはずなのに、全くしなくなっているし、ひょっとしたらできなくなっているのではないかと思います。今回の選挙の敗北は、党組織の体質の限界が現れたという意味で深刻だし、一時的なものではないと思います。
【編集部】少し前まで共産党は、無党派層との連帯を打ち出し、市民運動との共闘を求めていましたが、今回の選挙では、党勢が伸びていたものだから民主党への擦り寄りというスタンスに変わりました。これで見事に無党派層からしっぺ返しを食らったのではないでしょうか。


☆行政との癒着

【I】豊中に家庭保育所(無認可保育所)が26ヵ所あるのですが、ほとんどが共産党絡みのものです。つまり、行政との癒着が進み、利権構造のなかにずっぽりはまり込んでいます。このため、正面切った行政とのケンカが構造的にできなくなっているように思えます。
【O】大阪府を見ていても行政の補助金をもらっている福祉施設で働く活動家・党員が圧倒的に多いように見えます。これでは、行政とケンカできるはずがないのです。
 府への請願は共産党が圧倒的に多くてよくやっているなぁと思っていたのですが、よく考えてみると、議員にとって請願の紹介なんてこんな簡単なことはないのです。現場に請願を書かせて、議員が仲介すればいいのですからこれほど楽なことはない。問題が起こっても、請願運動にすぐ集約してしまいます。これでは大衆運動は、生まれません。
【I】補助金カットに反対するのでも、大衆運動を積み上げて反対するのなら迫力もあるのですが、請願を出して否決されて終わりというパターンを繰り返しています。
【W】大阪府の人事でも共産党は、活動家を民政部の保健所などの現業部門に重点的に配置しました。福祉法人はその外郭団体で、その部分は握ったのですが、いかんせん役人体質のまま硬直化しています。税金のおこぼれに連なっているともいえます。
【T】一言で言えば、「政治的」に打って出るとか、拡げるとか、そういう感覚がなくなって、自民党と同じで利害が絡んでいる人に利益になることを言って支持を得る(票をもらう・赤旗を購読してもらう)という利益誘導型の世話活動になっています。これが党活動の基本だと考える末端活動家が増えているのでしょう。行政とケンカして運動を創ったり、地域の人々とケンカしながら自分たちの主張を拡げていくという活動が本当になくなっています。
【W】高槻市の共産党は、この2年間くらいの選挙で、はっきりじり貧傾向が出ています。今回共産党は、無党派層の浮動票が流れてくると思っていたのでしょうが、無党派層の支持を受けやすい別の候補(辻元清美)が出てくると、地域での運動がない分ガタッと票を減らす結果となっています。


☆自らを見つめる目

【W】共産党は、状況を見るには敏感なところがありますが、自らを見つめる目は欠けている気がします。
【T】自分たちが日々歩いて話している人々が感じたり考えたりしていることを、党として全体の意志を決めている人々の所までベルトが掛かって伝わっていれば自らを見つめる目も自然と生まれてくるということでしょう。ところが、指導部の意志を全体に徹底化することはできていても、逆の回路が働いていない。これは、組織としてもかなり深刻な事態に立ち至っていると思います。


社民党について


【T】社民党のマイナス点、特に村山さんが自民党と連立政権を組んだときの政策についての批判は、具体的な運動をやっている人々から強く出されていました。しかし、今回の選挙については、自公保連立政権への不満・批判が大きくあるのは間違いなくて、どう意志表示するのかが問われたときに選択するのが困難でした。民主党と自由党が伸びましたが、あくまで一部でした。
 自分たちとしては、小さい影響力を生かして政治的な運動にしようと思えば、社民党とやるのが良いのではないかということで、今回は比例区についても社民党を決めました。これについては、議論も批判もありましたが、自分たちとしては一歩踏み込んだ方針でした。いい結果は出ましたが、未だに反発も強く、抗議のハガキ・FAXが来ています。


☆問われているのは自分たち

【O】住民運動は、4〜5人も集まれば、会議をやって方針を決めて、地域に帰って人に声をかけて、それを持ち寄って会議をやってというひとつの運動ができますが、社民党は、それができない。だから、今後も社民党とは付き合っていきますが、むしろ運動をやってきた人たちが、その力をいかに地域に蓄積できるのかという観点で自分たちの動き方を決めればいいと思います。その意味では社民党への遠慮は必要ないと思います。
【T】今回社民党は土井さんが、女性を中心にして護憲を明確に打ち出したことで対抗軸として脚光を浴びました。これまで社民党は落ち目で、残ってがんばろうかというのはよほど好き者しかいなくて、辻元さんらが新しく入って良い役割を果たせたけれども、少し盛り返してこの先も展望があるとみれば、さまざまな思惑をもった、かつての人間たちが帰ってきて、引っかき回されてまたやり難くなるという可能性はあると思います。
 だからこそ、かき回されることなくしっかりやるべきことをやる自分たちの主体が問われるときがくるでしょう。

 

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