第42回総選挙を振り返って(編集部)

市民運動、労組から旧社会党支持者
まで総結集、既成政治に風穴を開けた

2000年 7月5日
通巻 1048号

社民党・辻元清美候補、自公野合を打ち破り選挙区で当選!

「自公の敗北は明らか」だが「批判の受け皿がなかった」
 6月25日投票の総選挙は、連立与党の自民・公明・保守がそれぞれ大きく議席を減らしたものの合わせて絶対安定多数を確保、一方野党の方は、民主が38議席、社民が4、自由が5議席増、共産が6議席減という結果に終わった。「微妙なバランス」「勝者なき選挙」等々、ある意味では「中途半端」な結果にマスコミの評価も戸惑い気味だったが、今回の選挙結果は「自公保野合政権への批判は示された」、が「批判の受け皿がなかった」ということにつきる。
 自民党が如何に「勝利」と強弁しようとも、過去最多の38議席減という事実は隠しようもない。かろうじて233議席を確保したのも、比例区では得票率が30%にも満たないにもかかわらず選挙区、特に地方・農村部では圧倒的に有利という現在の選挙制度自体の問題と、自公野合で公明党の支援を受けたことによるものに過ぎない。選挙終盤の各マスコミの「自民優勢」との世論調査に「無党派層」が反自民に動いたという事実も、有権者の「自民党離れ」を示したものと言える。
 しかし、中途半端な「勝利」によって「首相として」どころか「政治家として」の資質すら疑われている森を続投させざるを得なくなったのは、自民党にとっても皮肉な結果だった。文字通り「身を削って」自民党に協力。今や、抱き合い心中の道しか残されていない公明党に配慮しつつ、「数の論理」のみで支えられた森暫定政権は、政界再々編の可能性も含みながら迷走を続けていくことになるだろう。


市民運動、政党、相互の活動の蓄積がかみ合い相乗効果を

 一方、こうした与党に対して、対抗勢力たるべき野党の側はどうだったか。事前の予想に反して、そして投票時間が延びたにもかかわらず、投票率がアップしなかったことが象徴するように、野党は全体としては政権批判の「受け皿」とはなりえなかった。個々に検討すべき問題は色々あろうが、ここでは自公協力の公明党候補、民主党候補とわたり合い見事選挙区での当選を勝ち取った大阪10区(高槻市・島本町)社民党の辻元清美選挙と、惨敗だった共産党の問題に絞って考えてみたい。
 大阪10区では、辻元清美候補が55839票を獲得、選挙告示間際に成立した自公協力で一本化された公明党現職の石垣(55108票)、民主現職の肥田(52598票)に競り勝った。いわゆる「基礎票」で言えば2万そこそこの辻元が、「若い清美ファンから昔の社会党支持者、村のおばあちゃんまで、実に多様な人々の自主的な横のつながり」に支えられ、創価学会・保守、連合など大組織をバックにした候補を打ち破ったのである。
 その勝因について選挙に関わった人々が指摘するのは、以下のような点。

▼辻元候補が2年近くにわたり、毎週週末に地元入り。街頭での国会報告や市民運動との交流などを積み重ねてきた。
▼社民党が選挙に当たり、中心課題として「護憲」を明確に打ち出した。
▼選挙区での重点候補として土井党首や村山元首相が相次いで応援(ちなみに、村山元首相の「連立時代の基本政策の転換には大いに問題があった」との「自己批判」には、旧社会党支持者などから「やっと胸のつかえがとれた」等の反響が続々と寄せられたという)。
▼自公協力によって対立軸が明確になったことに加え、自民党の不満票も取り込んだ。
▼市民運動の側も政党も含めて、「ピース・リレートーク」等の活動を積み重ねてきた。


 こうした要因が相乗効果となって選挙戦は日に日に熱気を帯び、市民運動や市民派議員、連合に距離を置く労組や連合内労組の活動家、旧社会党支持者等々が選挙区を越えて総結集、投票率の低迷の中で大阪10区だけは前回よりも5%アップし、辻元勝利に導いた。ここでは現実に「山が動いた」のである。
 無論、これは全国の数多くの選挙区の中の1つの経験に過ぎない。が、市民運動や労働運動、そして政党が、それぞれの経験と蓄積を寄せ合えば、規制の政治に風穴を開けることができることを示したという意味では、今後を考える上でも非常に大きな「勝利」だった。


争点を曖昧にし、政権にすり寄ろうとして惨敗した共産党

 そして、これと比較してみれば、選挙前は批判票の一定の「受け皿」になることが予想されていた共産党の惨敗の原因も浮き彫りになるのではないだろうか。
▼「現実路線」によって、これまで標榜してきた「無党派層との共闘」もかなぐり捨て、民主党に色目を使うことによって「政権」にすり寄ろうとした。
▼「現実路線」からくる「具体的政策」に重点を置いたため、自公保批判の焦点を却って曖昧にしてしまった。
 共産党が批判して止まない「謀略ビラ」の影響も確かにあったには違いない。が、開口一番「謀略ビラ」に敗北の責任を転嫁する不破や志位の言い訳に、圧倒的に多くの人々が「醜悪さ」しか感じなかったのだということを、共産党は肝に銘ずべきだろう。いずれにせよ、共産党が今回の惨敗をどう総括しどう変わっていくのか、これも今後を考える上で注目していきたい。
 今回の選挙は、歴史的にはガイドラインに始まる一連の「危機管理」諸悪法と、今後出てくるであろう有事立法、憲法改悪の可否が重要な争点だったことは間違いない。残念ながら、現実にはそうならなかったし、今の与野党の区別がそれと照応していろわけでもない。しかし、全国で多くの人々がそのことを念頭に様々な形で今回の選挙戦を闘った。うまくいったところもあればそうでなかったところもあるだろう。本紙では今後、そうした各地の経験を追う中で、運動の今後を共に考えていきたい。

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