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2016/5/28更新

「税金払えど、公共サービス受けられず」抗議行動
イスラエル人左派との連帯模索した平和活動家「暗殺」

イスラエル在住 ガリコ恵美子

東エルサレムの難民キャンプ

パレスチナ映画「オマールの壁」が日本で上映され、好評だ。同士間の騙し合いや密告。無二の親友さえ信じられなくなってしまうよう細工するイスラエル治安警察の汚ない手法が描かれている。実際よく似たことは頻繁にある。

パレスチナには、占領への怒りを持ちつつも、戦略的・理論的に考え、イスラエル人左派と連帯する平和活動家がいる。彼らはヘブライ語や英語を話すことができ、国際法とイスラエルの法律も熟知して、パレスチナ人の正当な権利を主張する。彼らの根底にある考えは、「話し合いで互いを理解し、歩み寄ることで問題解決は可能だ」という信念だ。

東エルサレムの「ショーファット難民キャンプ」に、バハという名の平和活動家がいた。ショーファット難民キャンプは、第一次中東戦争時のパレスチナ人の避難先の一つで、1965年に難民キャンプとして国連に正式認定された。第三次中東戦争まではヨルダン領だったが、67年、イスラエルがパレスチナおよび東エルサレムの占領を開始したため、エルサレム市管轄下になった、エルサレム唯一の難民キャンプである。敷地はわずか約0・2km平方。

現在、エルサレム旧市街の「嘆きの壁」前に大きな広場があり、広場の南側はユダヤ教徒地区となっているが、第三次中東戦争(67年)まではパレスチナ人が住んでいた。戦争が終結すると、民家は壊され、そこに住んでいたパレスチナ人たちは追放され、ショーファット難民キャンプに避難した。

さらに、オスロ合意(93年)によりC地区(イスラエルが行政権、治安権を持つ)に指定された土地に暮らしていたパレスチナ人の一部も、そこに避難した。

その後も、イスラエル人入植地建設のための土地略奪や家屋撤去で、住居を失ったパレスチナ人が、移住し続けており、6〜8万人と想定される人口は、増加するばかり。パレスチナ人居住区で、ガザ地区(世界で最も人口密度が高い)の次に人口密度が高いとされている。

保険料収めても医療受けられず

隣接する「アナッタ難民キャンプ」とともに、2004年、ぐるりと分離壁で囲まれてしまい、出入り口は2箇所だけである。一つは西岸地区につながる出入口、もう一つはイスラエル側につながる検問所のある出入口だ。検問所はいつも長蛇の列で、イ軍は急を要する救急車も厳重に検査するので、手遅れで亡くなる急病人もいる。住民はイスラエル永住権(ブルーID)を持つが、イスラエル当局には、理由を付けて永住権を奪う決定権があり、既に何名かが剥奪されている。2015年秋には、全住民からブルーIDを剥奪するという法案が発表された。

第一次中東戦争と第三次中東戦争時にこのキャンプに避難したパレスチナ人は国連から難民認定を受けているが、それ以降の避難者は難民認定されていない。したがって、地元の国連学校で教育を受ける資格がない子どもたちが、毎朝長時間検問に並び、キャンプ外の学校にバス通学している。

これらの住民は、国民健康保険料をイスラエル市民同様に支払っているが、保険利用できる医療機関はキャンプ内にはない。医者を必要とする、体調の悪い人は、検問所で並ぶことができず、結局、病院に行けないので、保険も利用できない。

国連ヘルスセンターはあるが、医者・看護婦の数も設備も十分でない。猫塚医師率いる北海道パレスチナ医療奉仕団が、年に数日間そこで医療活動を行うほか、海外の医療関係者がボランティア活動を行っている。しかし、数万人の住民を抱えるこの難民キャンプの患者数は多すぎるのだ。

市民税もしっかり払っているが、電気・水道・下水設備は不十分、ゴミはいつも道いっぱいに溢れ、住民が自ら焼いて処理するゴミの臭いや煙が窓を開ける度に胸を悪くする、幹線道路は舗装されず、デコボコで砂埃とドロだらけ、路地には下水の臭いが漂い、子どもがサッカーしたり遊んだりできる広場や公園はゼロである。

これらの改善を求めて、バハは地元で対策委員会を立ち上げ、市の怠慢が明らかな「ゴミ回収と路面整備」を申請したが、市は許可すらしないので、抗議運動を始めた。これにはイスラエル人左派も連帯。その結果、申請の一部が受け入れられ、難民キャンプの中央路が、少しずつ舗装されつつある。

また、昨年バハは難民キャンプの現状をイスラエル人や国際社会に知らせるため「難民キャンプ案内・説明会」を実現させ、私も参加した。イスラエル人との連帯を喜ぶバハの笑顔は印象的だった。

「暗殺」の報せ聞きアザ(追悼式)へ

そのバハ(31)が、先日暗殺された。イスラム教徒は、死体を即、埋葬し、3日間、親類・友人が遺族を追悼訪問する。これをアラビア語で「アザ」と呼ぶ。追悼場は男女別になっており、女性は女親族を、男性は男親族を訪問する。訪問者には苦いコーヒーとナツメヤシ、炊き出しが分配され、礼拝時には宗教指導者が長い祈りを捧げ、全員が床に列を成して礼拝する。

バハが暗殺されたことをイスラエル人左派活動家のメールで知り、アザに出かけた。バスが難民キャンプに入ったところで下車し、「バハのアザはどこか」と雑貨屋で訪ねると、店員は急に笑顔を引っ込め、頭を垂れてつぶやいた。「惜しい人を失くした。冥福あれ」。

バハの家は、そこから徒歩で20分ほど先の路地の奥深くにあった。家の踊り場から目の前に分離壁、壁向こうにピスガット・ゼエブ入植地、右遠方にエリコが見えた。

女性追悼場でバハの息子(2歳)と娘(3歳)とバハの母、夫の急な死に放心するバハの妻に対面した。痛々しかった。バハは幼い子どもたちの未来のために頑張っていたのだ。

犯行録画を持ち去るイスラエル警察

「あなたのような外国人がなぜバハを知ってるのか?」バハの母が聞いた。「多くの人が平和活動に熱心だったバハを知っています。彼は素晴らしい人でした」と言った直後に号泣してしまった私を、彼女は胸に抱きしめ泣した。

「私は日本の新聞社の者です。詳しい話を聞かせてくれませんか」と母親に申し出ると、親族・友人、30人ほどが輪になって座している男性追悼室に通された。女が足を踏み入れることはタブーとされる場だが、1時間ほど、彼らの話を聞いた。彼らの話を紹介する。

−難民キャンプの皆がバハのことを好いていた。しかしイスラエル当局は嫌っていた。バハが殺された現場はキャンプ内の大通りで、商店の防犯カメラにその瞬間がとらえられていた。画像を確認すると、2人乗りの覆面バイクが彼とすれ違った瞬間、二発発砲して逃走した。

録画テープは、イスラエル警察が、「検証する」と持ち去った。犯人は覆面をしていたが、たぶんアラブ人だ。イスラエル人は、この難民キャンプに、怖くて入って来ない。パレスチナ当局がイスラエル当局にバハを殺すように命令されてやったか、イスラエル当局に金で雇われたパレスチナ人がやったんだと思う。

バス停まで見送ってくれたバハの7歳の甥は、叔父が殺されたのはここだよ、と言いながら、血痕が残っていないかと立ち止まって、地に目を這わせた。ショーファット難民キャンプ、いや、パレスチナの未来のために闘ったバハの明るい笑顔とともに希望が一つ握りつぶされた。

追加情報

@2014年夏、東エルサレムの自宅前から誘拐された後、ガソリンを飲まされて殺害されたパレスチナ少年・モハマッド・アブ・ハディール殺しの犯人(ユダヤ人入植者)に対し終身刑の判決が下された。(ハ・アーレツ新聞5月3日号)

A本紙3月25日号に掲載された「イスラエルの白い嘘」の犯人兵士は、1カ月間、軍留置所で拘束された後、ユダヤ祭の過ぎ越し祭のために一旦釈放され、5月9日ジャッファ軍事裁判所にて、裁判開始された。(ジェルザレム・ポスト・同日号)

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