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2013/5/10更新

4・28沖縄デーの歴史と意味 〜オスプレイ配備を許さない〜

「主権回復の日」を問い直す
沖縄は独立への道を模索する

植民地支配の責任を否定し在日朝鮮人を治安管理の対象とする日本のWスタンダード

4月27日、クレオ大阪北で『知花昌一講演会/4・28沖縄デーの歴史と意味〜オスプレイ配備を許さない〜』がおこなわれた(主催:「4・27」実行委)。「原発あかん・橋下いらん・弾圧やめて!」をサブタイトルに掲げるこの集会は、今回で3回目。

「主権回復の日」記念式典を翌日に控えた同集会は、「4・28」の意味に焦点が当てられた。@沖縄からの視点で語った知花昌一さん(元読谷村議、現真宗大谷派僧侶)の講演と、A日本の敗戦直後に権利を剥奪されていった在日朝鮮人の視点から水野直樹さん(京都大学人文研教授)の講演を要約・紹介する。(文責・編集部)

変わらない日本政府への怒りと失望

●知花昌一さん(元読谷村議、現真宗大谷派僧侶)

安倍首相は、4・28を「主権回復の記念日」としているが、沖縄からみれば「日本には未だ主権はない」と断言できます。敗戦後の占領時代、司法・行政・立法はすべてアメリカに握られていました。琉球政府はアメリカの傀儡が任命され、立法院だけは選挙で選ばれましたが、米軍政府は、自分の意に沿わない決定を破棄できました。

経済にしても、本土にくらべて3倍の円高に設定された沖縄では、輸入品があふれかえり、地場産業の育成が疎外され、基地と公共事業と観光に依存する、という経済構造が作られたのです。沖縄県民は、貧しい生活で苦労をしました。

私の子ども時代、近所に糸満出身の女性が暮らしていました。彼女の家には米兵が出入りしていました。私はその米兵からチョコレートをもらったり、単車の後に乗せてもらったりしていました。その彼女が「現地妻」として手当をもらい、糸満の実家に毎月100jの仕送りをしていた、と聞いたのは、その後のことでした。

またベトナム戦争時、沖縄の米軍基地は、重要軍事拠点として連日爆撃機が飛び交いました。また死を覚悟した米兵たちにとって沖縄は、出撃前の「保養地」であり、基地周辺の繁華街では米兵たちが飲酒・買春に走り、一般住民への暴力や犯罪も多発しました。こうして「植民地的支配から脱却しよう!」と本土復帰運動が高まりました。私も当時、日の丸を振って運動に参加したのを覚えています。

しかし、「核も基地もなく、本土並みの復帰を」という願いは裏切られました。今も米軍基地が存続し、県民大会で「オスプレイ配備No!」が示されても、昨年10月には、普天間飛行場に12機のオスプレイMV─22が強行配備されました。今年の夏には12機を追加配備し、海軍仕様のオスプレイCV─22も2年後に嘉手納飛行場に配備される予定です。皆さんは、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件(2004年8月)を覚えていますか?あの時、米軍は現場から全ての沖縄人を排除し、沖縄県警の現場検証も、県の視察も拒まれました。

また、沖縄では米兵による強姦や傷害事件、民家への不法侵入が続いています。米兵は「日米地位協定」によって特権的な治外法権の立場にあるからです。米兵が公務時間外に起こした犯罪については例外になっていますが、米軍基地内に逃げ込んでしまえば、手が出せません。裁判権は沖縄側にないのです。

こんな屈辱的な現実のスタートである「4・28」を、どうして「主権回復の日」として祝えるのでしょうか。沖縄の屈辱の歴史を知っているはずの安倍首相が「4・28」を祝うとは、「沖縄の声は聞かない」という宣言です。

第5の琉球処分

ここ数年、沖縄では、「教科書の沖縄戦集団自決に関する軍関与記述復活」、「普天間飛行場早期返還」、「辺野古新基地反対」、「オスプレイ配備反対」を訴えて、4回に及ぶ県民大会を開きました。それぞれ10万人単位の県民が「沖縄の現実を変えよう」と、参加したのです。

県議会をはじめとする市町村議会は、議会決議をあげ、政府に申し入れをし、県知事も陳情に行ったりと、考えうる限りの民主的な方法で、意思表示を繰り返してきました。これ以上何をすれば、どういう表現をすればいいのか? 変わらないことに対する怒り・失望は大きいものがあります。

これまで沖縄の「独立論」は、心情的に同意しながらも「居酒屋談義」でした。しかし今、「独立」を口にする人が、明らかに増えています。私自身は、かつて復帰運動を闘った者として、「独立論」に対して複雑な思いですが、沖縄は大きく変わりつつあるのを感じます。

私は、オスプレイの強行配備や「主権回復の日」などに象徴される日本政府の沖縄切り捨てを、「第5の琉球処分」と呼んでいます。@明治政府による琉球王府の廃止・沖縄県の設置、A日本本土の防衛線=捨て石とされた沖縄戦、Bサンフランシスコ講和条約、C米軍基地を維持したままの「本土復帰」、に続くものです。

沖縄は米軍基地がなくてもやっていけます。昨年9月末、オスプレイの配備に反対して、普天間飛行場のゲートを封鎖する闘いがありました。これからも、こうした民衆の闘いは続きます。

在日朝鮮人・台湾人を国籍排除してスタートした戦後

●水野直樹さん(京都大学人文研教授)

日本の敗戦・占領期は、現在に続く日本の政治・社会体制の根本が形作られた時期でもあります。「4・28」によって在日朝鮮人・台湾人に何が起こったのか、を問うことで、日本の戦後体制を問い直すことにつながると思います。

敗戦後、日本の「領土」は、講和条約で定められることになっており、少なくともそれまでは、在日朝鮮人・台湾人は、日本国籍者として取り扱われるはずでした。しかし1945年11月、アメリカは、彼らを「解放国民として取り扱う」としながら、「必要の場合には…敵国人として取り扱うことができる」という連合国最高司令官あての指令を出します。これが在日朝鮮人・台湾人へのWスタンダードとなっていきます。

45年10月23日、「在日朝鮮人・台湾人も選挙権・被選挙権を認めてもよい」とする内容の「衆議院議員選挙制度改正要綱」が閣議決定されました。しかし、議会の反対にあい、「改正衆議院議員選挙法」(同年12月17日)の付則では、「戸籍法の適用を受けない者の選挙権・被選挙権は当分これを停止する」と変えられてしまいました。《戸籍法の適用を受けない者》とは、在日朝鮮人・台湾人のことです。これについて日本政府は、「ポツダム宣言によって、朝鮮・台湾は日本の領土から離脱し、国籍を喪失したのだから、参政権も有しない」と議会答弁します。

46年2月、GHQは憲法草案を日本政府に提示します。「法の下の平等」を規定した13条は、国籍などによる差別を禁止していました。しかし、ここでも日本側は「外国人も日本臣民と同様の取り扱いを受けることを定めるのは妥当ではない」と抵抗し、結局この条文は「すべて国民は…」と書き換えられました。在日朝鮮人・台湾人を排除する、明らかな後退です。

日本国民からの排除

そして日本政府は、この「国民」の規定からも在日朝鮮人を排除していきます。「外国人登録令」です。

47年5月に交付・即日施行された「外国人登録令」は、「台湾人のうち内務大臣の定める者及び朝鮮人は、当分の間、これを外国人とみなす」と定めました。密入国者の取り締まりがその主な目的ですが、一定の台湾人および朝鮮人を外国人と見なし、さらに登録を義務づけるものです。

また、米国の冷戦戦略を受けて、49年10月に日本政府は「団体等規制令」(破防法の前身)によって在日本朝鮮人連盟を解散させました。これに先立つ9月には朝連の、10月には朝鮮人学校の土地・施設・財産が没収されます。翌50年2月の政府部内(次官会議)では、この没収分を朝鮮人子弟の奨学金資金に充てることを議論していますが、実行されることはありませんでした。

朝鮮学校の閉鎖にあたり、日本政府は「朝鮮人も日本国籍を維持」しているから、日本の学校に就学する義務がある、としていました。しかし、「4・28」=サンフランシスコ講和条約発効によって、在日朝鮮人の日本国籍が喪失します。そして、朝鮮人児童・生徒への教育は、「希望する者の入学を許可する」という《恩恵》として位置づけられていくことになります。

こうして日本政府は、在日朝鮮人・台湾人に対して、一方では「日本国民だから」として、民族教育などのアイデンティティー形成を妨害していく一方で、「外国人だから」と、監視・管理していくのです。これは日本政府のWスタンダードです。日本政府は植民地支配精算問題を意図的に無視・否定し続けており、「4・28」の持つ意味は、とても象徴的なものなのです。

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