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2012/5/23 更新

放射能の恐怖B

日本に安全な場所は どこにもない

南相馬から綾部市に避難した 井上美和子さん  

私たちは国から見捨てられている

避難を振り返って強く感じるのは、「私たちは、国から切り捨てられた」という思いです。まず、逃げるために欠かせないガソリン、最低限の健康を維持するための暖房に必要な灯油を売ってもらえなくなったことです。多くの人が車を動かせないために避難を諦め、長く続いた停電で厳しい冷え込みの中、暖を取るために必須だった灯油が手に入らず、寒さに震え続けざるをえませんでした。

そして、情報の後出しです。メルトスルーが起きていたことが報じられたのは、5月末。政府やマスコミは、事故から1カ月以上、「屋内にいれば安全」をくり返し、結果として多くの住民を被曝させ、緊急避難を妨げました。更にはSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク)の情報が意図的に隠されていたことも、後に知ることになります。

私が、水素爆発による建屋崩壊の映像を目にした時点で過酷事故を直感できたのは、原発構内で働いた経験があった、ただその一点だけです。そうでない多くの住民は、政府の伝える「ただちに影響はない」を受け入れるしかなく、信じて留まり続け、状況の深刻さを知る由もなく、子どもが外で遊ぶことへの警戒も叶いませんでした。

政府が、住民の健康被害回避を念頭に、初期段階で救出や避難を最優先にしていれば、今回の最悪の事態は回避できたはずです。後で近所の人に聞いたのですが、文科省から現地に派遣されてきた職員は、家の敷地で放射能測定をしただけで、住民に「逃げろ」とも「残れ」とも言わず、終始防護服姿でたんたんと作業し、去って行った、というのです。

移住先も原発被害地域

やっとの思いで、福井県敦賀に3月14日早朝、夫の実家がある大阪に14日夕方着いたのですが、移動していたこの間に、3号機が爆発、更に4号機(15日)、とうとう2号機(15日)も爆発。信じがたい現実に、もう「数カ月は帰れない」と確信、長期避難の地を探し始めました。事故から1年後の3月13日、一時帰宅した南相馬の自宅では、庭の地上1bの空間線量が1μSV/hでした。ここでの今までの子育てを否定されてしまう値です。

私たち家族は、子どもが2人とも幼児で、子どもどうしの強い友情が未熟であってくれたぶん、避難をするにあたって、その点の問題は回避されたので、綾部を拠点に生活を再建しよう、と腹を括っています。

先日、京都府がSPEEDIによる京都府の放射能拡散予想を発表しました(左上図)。福島でも、ほぼ実態に即した予測ができていたSPEEDIの、です。高浜原発事故を想定した場合、綾部市は高浜原発から35`です。2月および3月の風向きからすると、放射能雲の通り道になっています。この時期だと、雪雲になります。綾部市の頻繁な降雪のひと冬を過ごした今、放射能拡散の危険性は、福島原発の比ではないと思えてなりません。

この京都府のSPEEDI予測図が発表されるまでは、海外も含めてより安全な場所に避難することも考えていました。でも、もしかしたら、このSPEEDI予測図を京都府の多くの人が目にしてくれることで、原発事故の危険性がより現実味を帯び、守るべき大切なものに皆の目が注がれていくんじゃないか。そうなら、その危険性をみんなに知ってもらう必要性もあるんじゃないか、と思うようになっています。

綾部の人々は、縁もゆかりもない私たちを温かく迎えてくれました。今さら「もっと安全なところへ行きます」とは言えません。しかし、改めて見渡してみると、日本中どこへ行こうとも、原発のない場所など沖縄くらいしかないのです。その沖縄も、米軍基地の危険性に長い間苦しんでいます。となれば、日本で安全だと言い切れる場所はどこにあるのか。自信を持って「うちにおいで」と言ってくれる自治体を、どなたかご存知でしょうか。

綾部の人々と共に再稼動に反対する

5月5日午後11時過ぎ、国内の全原発が停止しました。何と42年ぶりだなんて…。若狭にある15基の原発もすべて停止中ですが、関西電力は、大飯原発を再稼働させるために滑稽なまでに躍起の様子です。

電力会社と政府の発表が、いかに一方的で未検証なのかということを、事故の被害を知る私たちが、体験した理不尽さと併せて、多くの人・特に原発立地自治体と周辺自治体の皆さんに伝えるべきだ、と思っています。

綾部で生活を始めて少し経った頃、広島と長崎で2回にわたって被爆した山口彊さんの 「2度あることは3度ある」という言葉を思い出しました。彼は、被爆体験を語る時、「私はいつも(心が痛くて)苦しい」とも仰っていました。今、私も同じ気持ですが、原発事故の記憶が風化する前に話しておかねばならない、今でなければ、と強く思うようになります。

事故から4カ月が経った昨年7月に初めて避難体験を告白して、少しずつ講演の機会を与えてもらっています。

ただ一つ残念なのは、体験談を聞いたこと自体に満足される方も多いことです。できることならば「もし自分に放射能の危険が迫ったらどうする? 」と想像し、それによって見えてくる問題を考える。聞いた人が自分なりの対策を講じるなど、一人ひとりが自分の身を守るための究極の答え(安全が約束された暮らし)に行き当たれるようにするには、どう話していけばいいのか? を、大真面目に考え続けています。

原発事故については、その原因や経過について、これまであらゆる報道がなされてきました。私も含め多くの国民がそれらを見てきました。しかしそれは、遠くから眺めているだけかもしれません。放射能の恐怖の記憶を風化させず、常に原発やエネルギー行政について関心を払い、今後のいかなる局面にも自分自身なりの判断をしていけるようにならねば、と強く思っています。

子どもに質問されて、答えに窮してしまう今の国会や行政やニュースがあふれています。20年後の私たちは、自分の子や孫たちに、迷いや淀みなく、質問に答えられる先輩になっているでしょうか? 問題の解決方法について、アドバイスできる足跡を残せているでしょうか? 

今回の経験から、親である自分たち世代の課題が顕在化している、と痛感させられるこの頃です。(つづく)

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