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2012/5/23更新

橋下&維新の会を撃つ

民衆の無力感背景にした権威主義に対抗する小さな自治空間を

酒井隆史さん(大阪府立大学人間社会学部准教授)インタビュー

「橋下&維新の会を撃つ」シリーズの2回目は、橋下の政治手法とされる「ポピュリズム」をもう一度考え直そう、というところから、酒井隆史さん(大阪府立大学人間社会学部准教授)にお話をうかがった。(編集部一ノ瀬)

酒井隆史さんプロフィール

大阪府立大人間社会学部准教授。専攻は社会思想、社会学。

主な著作は、『自由論』(青土社)、『暴力の哲学』(河出書房新社)。近著は『通天閣 新・日本資本主義発達史』(青土社)。

富裕層が橋下を支えている

──昨年の大阪市長選挙をどう分析されますか? 

酒井…選挙結果を見ると、一般的な「ポピュリズム」批判のイメージとは、かなりずれています。大阪市立大学の社会学者・櫻田和也さんが、市長選挙結果を基に、大阪24区の平均世帯年収と橋下得票率の関係を示した散布図(下図参照)を公表しました。複数の指標を確実に対応させることはできないのですが、大阪市における生活保護受給率トップで、釜ヶ崎のある西成区は、橋下氏の得票率が最下位だったことは間違いありません。つまり、《自分の利害もよく理解できない『衆愚』が、独裁的な人物を両手を挙げて支持する》という、日本でのポピュリズムのイメージは、大阪の実情としては的を射ていないのです。

──この結果は意外ですね。この富裕層が橋下を支持した理由は何なのでしょうか? 

酒井…いくつかの統計をみると、相対的に所得の高い層であり、かつ大阪への新規の流入者が、橋下を最も支持しているようです。現在は「都心回帰現象」で、郊外から人が流入してますが、大阪24区で流入率が高い区は、橋下の得票率が比較的高く、また、流入率が低いか減少している区は得票率が低い傾向でした。

ここから言えるのは、@大阪の気風というものと橋下支持を即関連づけるのは危ういこと、A現在の社会から相対的に利益を得ている層に橋下支持の傾向があること、です。つまり橋下支持は、概存体制の維持という動機にも根ざしている面があることは留意すべきです。「すべてを守るためにはすべてを変えねばならない」という、ヴィスコンティの映画で、革命に直面した貴族の吐く有名な言葉を想起できないでしょうか。

大阪は昔から流入・流出の激しい「移民の街」であり、日本資本主義の形成史において矛盾の集中する場所でした。大阪は、様々な人々・勢力がひしめき、人々の関係性の回路が重層的に作り上げられた「モザイク都市」なのです。そこでの利害調整は、フォーマル(公式)な回路だけでは不十分なため、こうした様々な諸勢力の間で利害の調整がおこなわれました。大阪市長や府知事は、いわばこうした諸集団の上に乗っかればよいという側面もありました。

ところが、バブル経済崩壊以降、格差・貧困が大きな社会問題となると、人々のアイデンティティがぐらついてきます。ネオリベラリズムにとっては、こうしたフォーマル、インフォーマルな諸集団は邪魔になります。競争しあう孤立した個人がその理想です。だから、ネオリベを内容とするポピュリズムは、諸集団を個人に、徹底的に解体しようとするのです。橋下氏がやろうとしていることです。

 橋下はサッチャリズムに似た「権威主義的右翼ポピュリズム」

 ──橋下に対しては、「ポピュリズム」との批判があります。これについては? 

酒井…「ポピュリズム」は、「大衆迎合主義」と訳されるように、現在「負のイメージ」として使われています。しかし、元々「ポピュリズム」は、ラディカルなニュアンスも含んだ広い概念です。それが、いまでは渡邉恒雄(読売新聞グループ本社会長・主筆)が橋下を独裁者だ、ポピュリストだ、と批判するくらいに、概念が濫用されています。《自分が気に食わない人間に貼るレッテル》になってしまっているのです。

 ──これまでのポピュリズムには、どんな例があったのですか? 

酒井…ポピュリズムは、南米で特徴的な現象です。アルゼンチンの1940〜50年代にかけてのペロニズム(ペロン大統領)や、ブラジルのヴァルガス大統領など、開発独裁的傾向をもちながらも、民衆運動を取り込みながら政策を形成していったのです。

19世紀末、米国で「ポピュリスト党」(人民党)という政党がありました。南部中心に白人の貧困層の支持を集め、「黒人や移民労働者と連帯しよう」をスローガンに、《第三局》として勢力を伸ばした時期もありました。もちろん、ナチズムにもそういう傾向はあります。

実は「ポピュリズム」は、そのイデオロギー内容では定義できません。ポピュリズムは民主主義の要素であり、安易なポピュリズム批判は、「衆愚」論や民主主義そのものへの批判に陥ってしまいます。民主主義とポピュリズムは、必ずしも相反しないのです。

ベネズエラのチャベス大統領も典型的な「ポピュリズム」ですが、彼の場合は、体制を構成していた諸勢力の回路の外側にある民衆と、その運動を基盤にしています。「反米」という明快な図式を基にして、グローバル資本などに抵抗する形で民衆を「形成」するわけです。この場合、民衆に民主主義が開かれていく可能性は十分にあります。

橋下は「権威主義的右翼ポピュリズム」です。かつてのサッチャリズムの延長上にあります。サッチャーは、規制緩和・民営化で、「小さな政府」路線を進めましたが、官僚・労組・コミュニティー活動家を徹底的に敵視し、攻撃しました。橋下氏のような人物が、すべてを決定します。民衆運動や諸集団・コミュニティー運動は、デモクラシーのプロセスから排除されるのです。

 《自治空間》をあちこちに作ること

 ──橋下の「権威主義的右翼ポピュリズム」に抵抗していくには? 

酒井…私たちは、「自分たちが主役」であることを忘れさせられ、無力感を植え付けられ、「ヒーローに託すしかない」と思い込まされています。

脱原発の大きな運動の渦が起こりました。たぶん、小さな渦がたくさんあって、その 集積として大きな渦があるのだと思うのです。だから、自分の周りに小さな渦を作っていくことが大切です。

ソビエトを想起しましょう。といっても強力な集権国家の名に冠され地に墜ちたそれではなく、1905年、17年2月のロシア革命を支えた運動としてのソビエト、すなわち評議会です。それを私たちのイメージしやすいように、近所でみんながワイワイ集まって、読書会や町内会の決めごとをしているような寄り合い場として捉えてみましょう。専制ロシアの革命は、こうした国家とは異なる、地域や職場単位の意志決定機関が続々あらわれ連帯することによる二重権力状態によって可能になったのです。

また、国内をみても、70〜80年代に住民自治運動が花開いていたことは、もっと評価されていいと思います。

例えば、80年代前半に大阪市大教授だった宮本憲一さんが、「水と共存するふるさとを求め、住民が水都再生の街づくりに参加する権利」として親水権の思想を提唱し、住民運動として「水都」の運動理念を示しました。「水都」といえば、今や行政によってウォーターフロント開発事業の代名詞として換骨奪胎されています。しかし、元々宮本氏が提唱する「水都」の概念は、開発・資本主義への批判であり、民主主義をより深化させ、住民自治を強化しよう、という提起だったのです。

当時は、そうした住民自治を実践する団体が数多くありました。そうした実践の経験を持っていることをもっと誇りに思ってもいいのです。

私たちは、国家権力に頼るのではなく、こうした自律した連合空間を作っていける、というイメージを持つことは、大切です。

 私たちは世界史の中にいる

 ──橋下・維新の会は、選挙結果を「民意」だとして、君が代強制や職員への思想調査アンケートなど、やりたい放題です。いつまでこうした状態が続くのでしょう? 

酒井…いま、民主主義は機能疾患に陥っています。原発事故以降の政府の動きはそれを極端な形で露呈させています。政権交代後の民主党政治も「自民党時代より悪くなった」と言われるほど、既成政党・政治へ不信・怒りは、ますます大きくなっています。

こうした中、橋下氏に象徴される「権威主義的右翼ポピュリズム」は、誤った解答・処方箋を与えています。彼らは、この資本主義社会のシステム自体を問題にしない、というより、しないために常に敵をでっちあげて仮想的な利害の線を構築します。このままだと最終的に、民主主義を食いつぶされる恐れがあります。

忘れてならないのは、こうした現象は、日本だけではない。世界的な現象だということです。そしてそれに対する異議申し立ても、全世界規模で大きくなっています。ギリシャやスペインで、ウォール街で、中東やパレスチナで…。日本がこうした動きと無縁でいられるわけがありません。私たちは、まさにこうした世界史の中にいるのです。

そしてまた、資本主義社会のシステムを撃つ闘いは、とても長い時間がかかります。思えば、国家やグローバル資本は、長い期間をかけて、いわば「小さなことからコツコツと」今のシステムを作ってきたのです。現在の日本の状況も、さまざまな領域で、大小さまざまな右翼勢力が、徐々に形成してきたものです。

昨年5月から始まったスペインのindignodos(怒れる者たち)の闘いの中で書かれたスローガンに心を打つものがありました。「今度の革命は、長く続く」というものです。こういう時代は、実践意識があればあるほど、「かれら」の作った土俵で制約のなかで言葉をくり出せば少しは変わるのだ、となりがちです。かつて総力戦体制になだれこんだ旧左翼もそういう心性によって変わっていきました。土俵にのらない言葉や要求、想像力は、「現実的ではない」と私たち自身が検閲をかけてしまう。しかし、かつては右翼の「妄想」としかみえなかったイデオロギーのその多くが「常識」の地位にまで転換してしまった現状をみてみましょう。駅前で演説をやめなかった赤尾敏の孤独で滑稽にみえた姿をバカにしてはならないのです。

私たちは、かつて運動の中で実践してきたこと、つくりあげたものがあるのです。それは決して小さいものではありません。

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