人民新聞オンライン

タイトル 人民新聞ロゴ 最新版 1部150円 購読料半年間3,000円 郵便振替口座 00950-4-88555┃購読申込・問合せはこちらまで┃人民新聞社┃TEL (06) 6572-9440 FAX (06) 6572-9441┃Mailto:people@jimmin.com
反貧困社会編集一言政治海外情報投書コラムサイトについてリンク過去記事

▲フアード-アル-ハジ(仮名)39才。ウィーン大学卒の建築家。国籍はオーストリアで、レバノン難民キャンプ生まれ。父の故郷はヤーファ(テル・アヴィヴ)、母の故郷はハイファ。宗教はイスラム。
更新日:2009/09/28(月)

[海外]ウィーンの「パレスチナ48年難民」故国を取り戻す夢
──ウィーン在住・塚田紀子

はじめに

国連によると、世界の難民の4分の1はパレスチナ難民だ。パレスチナ難民は1948年と1967年に大量に生み出された。イスラエルの武力による一方的な「独立」と、第3次中東戦争の後である。

イスラエル「独立」前の「歴史的、全パレスチナの地」には、約100万人のアラブ系パレスチナ人が住んでいた。うち75万人以上が、イスラエル建国と同時に故郷から追放された。今回、私が伝えたいのは、この第1次難民についてである。

彼らは、いかなる時も無視され続け、和平交渉のテーマからも外されるという運命を負っている。この「永久の無視」は、なにもイスラエル建国に始まった事ではない。100年以上前、オーストリアのユダヤ人思想家・ヘルツェルが、シオニズムというユダヤナショナリズム運動を提唱したが、「土地なき民に、民無き土地を」というのが、その有名なスローガンなのである。

100万人もの住人を無視したこの大嘘は、アメリカとイスラエルのシオニストのプロパガンダに支えられて、今に至るまで信じられている。イスラエルの子どもが学校で学ぶ建国の歴史に、このアラブ住民達の記述は、一切ない。

難民2世のフアード氏に、彼の個人史、パレスチナへの思いなどを語ってもらった。

レバノンへ

父(77才)は16才の時、親兄弟とともにレバノンに逃れた。彼は素朴なイスラム教徒で、ヨーロッパ帝国主義の支配を直に知っている世代である。英国から支配者役を受け継いだアメリカを恐れる、保守的な、普通の被害者であった。

兄(46才)は父世代とは全く異なり、共産主義の影響を受け、75年〜82年のレバノン戦争では武器を取って戦った。石油をめぐる資本主義の略奪戦だという意識と、民族が根絶されるという強い危機感があったと思う。それ程、レバノン戦争は酸鼻を極めた。残酷な皆殺しがあちこちで起きた。私はまだ小さい子どもだったので、母から外出を禁じられていた。両親は子どもを失う事をとても恐れていた。

私は、兄の様に武器を取って戦う事が許されなかったため、イスラエル―シオニストに対する憎しみが心の深部に内向し、「奴らか、自分か」どちらかの死によってようやく終わる闘いの事ばかりを思い詰めた。

続きは本紙 【月3回発行】 にて。購読方法はこちらです。
[HOME]>[ 海外 ]


人民新聞社 本社 〒552-0023 大阪市港区港晴3-3-18 2F
TEL (06) 6572-9440 FAX (06) 6572-9441 Mailto:people@jimmin.com
Copyright Jimmin Shimbun. All Rights Reserved.