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新左翼
更新日:2004/07/25(日)

[コラム] 渡辺雄三自伝第15回

四分五裂の新左翼諸党派 現状打開願い「新左翼」を発刊

学生運動の取材にこちらが手を取られていると、中国の通信社・新華社東京支局から電話がかかってきました。私達「中国新報」編集部宛てでなく、経営者の華僑宛てでした。

「最近、毛沢東思想の宣伝が疎かになっている」等々文句を言われ、仕方がないから『毛沢東語録』の勉強会もしました。日本国内における学生運動の高揚と、中国文化革命の宣伝紙との間に、ズレが生じ始めたことは否めませんでした。

私が関西で所属していた政治グループは、「日本共産党解放戦線」を結成し、機関誌を出していましたが、この学生運動の高揚と「中国新報」の限界を前にして、大衆政治新聞を出すことを決断しました。それが「新左翼」でした。

日本共産党は、いわば老舗の左翼でしたが、新たに政治の舞台に登場した彼らに対して、この党は罵詈雑言を浴びせ、運動の足引っ張りをするだけでした。学生運動を牽引していた新左翼諸党派は、内部の党派闘争に持てるエネルギーを使い果たしてしまい、四分五裂の現状に甘んじていました。

一九六八年、「新左翼」を出したのは、こんな惨めな現状を打開しようとの願いからでした。

国際主義の内実を問われた「リッダ闘争」

大阪・天六(天神橋筋六丁目)に構えた「新左翼」事務所は、三人が入ればやっとの狭い場所でした。その事務所へ、吉田金太郎(よど号赤軍の一員として北朝鮮へ渡る。ピョンヤンで死亡したと伝えられる)が、当時としては珍しい折り目正しい制服・制帽姿で手伝いに来ていました。

学生運動は「ヴェトナム反戦闘争」から出発したとはいえ、闘いの矛先が大学改革に向かうのは避けられないと思われましたが、結局、東大安田講堂や京大時計台の占拠闘争という「政治ショー」に、集約されてしまいました。

闘争の成果をもぎ取るよりも、「闘争の美学に浸る」という学生運動の限界が見え、大衆の関心は彼らから離れていきます。

国内の新左翼運動の閉塞状態──そんな重苦しい雰囲気の中で起きたのが「リッダ(テルアビブ)闘争」でした。奥平・安田・岡本の三人が、イスラエル・テルアビブ空港でマシンガンを連射し、多数の人々を死傷させた事件でした。

この闘争で、奥平ら二人は射殺され、岡本が逮捕されました。これに対する日本国内の新左翼党派の反応は、いずれも冷笑、あるいは冷淡なものでした。

このような彼らの狭いセクト的な態度に反発して私が書いたのが、彼らに連帯の意思を表明した「新左翼」の社説でした。「口先では『国際主義』を唱えながら、厳しい現実に直面するや、身を引いてしまう態度は、左翼として許せない」と思ったからです。

この社説を書いたからでしょうか、その後彼らが闘争を起こす度に、新聞社に声明などが送られてきて、結果として私は、日本赤軍の日本における「スポークスマン」の役目を担わされることになりました。けれども、私は国内で重信房子さんや日本赤軍のメンバーと何の面識もありませんでした。

私はもともと、日本から遠く離れているとはいえ、パレスチナの闘いに関心を持っていました。世界の矛盾の焦点でありながら、ソ連はイスラエルの国連加盟に拒否権を行使せず、パレスチナは地球の誰からも忘れられた「孤立無援」の状態でした。

それまでも、「新左翼」は出来るだけ現地取材もし、彼らの抵抗の姿を伝えつづけてきました。その努力に応えてくれた人たちが日本の中にいたことに、今なお私は誇りを感じています。

「カンバン方式」から見えた国による資本主義の違い

しかし、浅間山荘事件・連合赤軍事件等が続発し、新左翼諸党派は自滅していきます。それを契機に、新聞の名称を「新左翼」から「人民新聞」に変更しました。

その頃、新左翼勢力の一部が『労働情報』を出しました。彼らとは付き合いましたが、彼らは労働運動と政治運動との混同から抜け出すことが出来ませんでした。

八〇年代に入るや、高品質・低価格の日本製品が世界市場を席捲します。それで、トヨタの「カンバン(看板)方式」が世界の注目を浴び始め、「日本的生産方式」としてもてはやされるようになります。私は炭鉱での労働運動の経験から、その意味が直ぐ分かりました。

長い製造ラインの労働者を小集団に分割し、各グループ間で「欠品ゼロ」を競わせるというやり方は、またたく間に日本中に広がりました。新左翼も含めた日本の左翼は、これを「苦汗制度の再現だ」として批判しましたが、私はこの批判には組しませんでした。

これは欧米でも導入が試みられましたが、いずれも失敗に終わっています。その理由は、「階級社会」の欧米に対し、日本は貧富の差こそあれ、段差・切れ目がなく繋がった、独特の社会だからです。

そのため、日本では職制の権限を分割された小集団へ委譲することに抵抗がありませんが、欧米の場合はここでつまずいてしまい、前に進むことが出来ませんでした。

同じ資本主義とはいえ、国境・地域が変われば、こうも社会の仕組みが違うことに気付いたことは、私にとって大変勉強になりました。

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