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編集一言2006年09月ログ

私たちの「反靖国」に問われた宿題 戦争に反対し、行動する市民の会 竹林伸幸
 私は、反核・平和行動で八月三日から広島〜佐世保・長崎とまわった。一〇日に自宅に帰ったが、続いて今度は、反靖国の闘いだ。
 一一日、九人の原告による「靖国合祀取り下げ」訴訟(大阪地裁)と集会に参加。一二日、予定を早めて「夜行列車」で東京へ向かう。一三日から「平和の灯火を ヤスクニの闇に キャンドル行動」に合流し、小泉参拝阻止に向けて行動開始だ。
 チワス アリが台湾少数民族原住民(今回は五〇名が来日)の「祖先の霊を靖国から取り戻す」として来日した。闘いの先頭に立っている。彼女たちの言動と思想が、韓国からの合祀取り下げの闘い、私たち日本人の反靖国の闘いにも共通し、互いにつながっていると思うからである。
 一四日夜には、「明朝小泉靖国参拝」「チワス アリ一行も早朝千鳥ヶ淵公園を通って靖国に向かう」の情報が流れた。
 私たちも一五日四時半に起床し、千鳥ヶ淵公園へ向かった。五時半にはチワス アリ一行と合流、共に靖国に向かって歩き出す。と、五分も経たないうちに警備隊に阻止され、公園の一角に誘導された(残念ながら、「右翼・暴力団との衝突を避ける」という警備陣の説得には現実味がある)。
 それでも「防衛線をもう少し下げては」という日本人側提案には岩のように動かず重い沈黙が一時間も続いた。そのうち「小泉が靖国を参拝した」とのニュースもちらほら伝わってきた。
 チワス アリ「今回は小泉の参拝を阻止できないかもしれない。しかし、私たちは来年も必ず来ます。そして今回よりも、もう五mでも一〇mでも靖国に近づきたいと思います。靖国から祖先の霊を取り戻すまで靖国に来ます」。この趣旨の発言をチワス アリは何度も繰り返していた。
 「キャンドル行動」は、ここに至るまで、昼夜にわたるキャンドルデモ、人文字、集会、コンサート等を韓国・台湾・日本民衆の共同行動で大きく盛り上げることに成功した。これを私たち日本の市民は率直に喜びたいと思う。
 それと共に、チワス アリのことばにどう応えていくのか?二〇〇六年夏の宿題はとてつもなく重い。
2006年09月28日更新
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戸田門真市議 政治資金規正法違反事件 検察主張鵜呑みした不当判決
 八月二四日、大阪地方裁判所(横田信之裁判長)は、戸田ひさよし門真市議(及びその政治団体)に対して、@公民権停止二年(議員失職・二年間は選挙に出れない、A罰金計一一〇万円、B追徴金計四五〇万円という不当な有罪判決をのたまった。裁判所が警察と検察の政治的意図を鵜呑みにして下した判決だ。
* * *
 この事件は、関西地区生コン支部が、政治家個人への団体献金を禁じた政治資金規正法に違反して、戸田ひさよし門真市議(連帯労組近畿地本委員長も兼任)に政治資金を寄付したなどとして、二〇〇五年一二月、関生支部・武委員長と戸田市議を逮捕。加えて関西地区生コン支部と戸田市議の政治資金管理団体の四者を起訴したもの。
 二〇〇五年一月に始まる一連の関生支部弾圧の第三弾であった。事件は当初から警察と検察のあからさまな政治的意図をもって仕組まれた。武委員長の逮捕は、先行する第一事件・第二事件による長期勾留後にようやく保釈許可決定が出され、拘置所を出る二日前の再逮捕であった。
 戸田市議の場合も、警察は多数のマスメディアを引き連れ、わざわざ議会質問に備えて市の担当者から説明を受けている時間帯を選んで議員控室を襲い、さらし者にして抜き打ち逮捕した。地域で反戦、平和、福祉の運動の先頭に立つ戸田市議の政治的信頼を傷つけることを目的に、まさに「国策捜査」として仕組まれた権力弾圧である。
 公判でも警察と検察のストーリーは完全に破たんしていた。かれらは関生支部が組織として戸田市議に資金提供したと主張するが、組合員有志が集めたカンパを武委員長が代表してまとめて送金したにすぎず、何ら罪にあたるものではないことが明らかになった。
 しかしながら、事実に基づき公正な判断をなすべき大阪地方裁判所は、三権分立の役割を放り投げ警察と検察の政治的意図を優先して有罪判決を下したのである。
 関生支部と戸田議員は即刻控訴し、徹底的にたたかうことを宣言している。
 立川反戦ビラまき事件をはじめ、市民の表現の自由や労働組合活動に理不尽な規制を加える不当な司法判断が相次いでおり、民主主義全体の危機を象徴する事件であり、判決である。
2006年09月26日更新
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大江・岩波沖縄戦裁判の沖縄シンポジウム 「強制集団死」はなかった? 「捏造」に沖縄の怒りを!
 沖縄戦における渡嘉敷島や座間味島の「集団自決(集団強制死)」は『軍命ではなかった』として、大江健三郎氏や岩波書店を相手に、損害賠償や出版の差し止めを求める裁判が大阪で進行している。
 原告は渡嘉敷島守備隊長の弟・赤松秀一、座間味島守備隊長本人の梅澤裕で、昨年の八月に提訴された。
 当初から自由主義史観のグループが全面的に支援組織を立ち上げ、裁判の傍聴に大挙して押しかけてきている。彼らは「沖縄プロジェクト」と称して昨年の五月座間味・渡嘉敷島「沖縄戦慰霊と検証の旅」を行い、六月には集会で「沖縄戦集団自決」の「虚構を一切の教科書・教材から削除することを求める決議」をあげるなど、周到な準備をしてきていたのだ。
 この問題を「まさに沖縄で広く訴えていかなければならない」と、七月一六日読谷村金城実アトリエに隣接して設置されている一〇〇mレリーフ「戦争と人間」の屋外スペースでシンポジウムが行われた。岩波書店からは、この裁判の担当者であり雑誌『世界』の編集長である岡本厚氏が駆けつけ、沖縄側からは琉球大学教授の保坂広志氏、沖縄大学助教授・屋嘉比収氏が登壇した。

■沖縄戦の教訓を否定し、有事法制下で軍民連携作ろうとする原告の意図

 岡本氏は、書店には決して珍しくない記述の訂正要求など、まず当事者間で話し合いがすすめられるわけだが、すでに発刊して何十年もたっている本に対しいきなり裁判を仕掛けられ、またその時点で支援組織が発足しているという状況に当初たいへん困惑したという。
 「逆にこの裁判がある政治的意図をもって準備されていることが極めて明らかになった」と前置した上で、沖縄守備隊第三二軍では、最初から住民を巻き込む戦術が考えられており、その中で集団強制死は必然的に起きたのではないか。この裁判は「軍は住民を守らない」という沖縄戦観を覆す意図があり、軍民一体の有事法制体制を美化しようとするものであると問題提起された。
 これを受けて保坂広志教授は、戦争トラウマの観点から、「沖縄戦史は、トラウマを抱えた人たちの沈黙の岩盤」であり、訴訟は新たなトラウマを発生させる。「国家の戦争は許さない」という視点に目を向けて行くべきだと強調した。
 続いて屋嘉比収助教授は、「軍命の解釈は隊長の言葉に限定」すべきでないと、過去の教科書裁判などの経過を踏まえ、自由主義史観グループの意図を分析した。そして沖縄戦の継承についてもふれ、「非体験者が語る時代に入った」と、その困難性や課題についても言及した。
 討論では、「原告側が全面的に依拠している作家・曾野綾子の欺瞞的手法をいかに暴くのか」や、「軍事用語・援護法用語としての「集団自決」の言葉の的確性の賛否」など活発な意見が出された。共通して確認されたことは、この裁判が沖縄戦の実相をねじ曲げ、教科書からの記述を削除しようという意図のもとに起こされており、沖縄側として絶対に引き下がれない重要な問題だという点だ。沖縄での初めての公開シンポであり非常に関心が高かったし、これからさらに論議が整理され、深まっていくだろう。
    ×  ×
 去る六月九日には大阪で「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会」が発足した。
 次回公判は第四回口頭弁論が九月一日一三時半大阪地裁大法廷(大阪市営地下鉄「淀屋橋」徒歩一〇分)であり、同日夕方、沖縄国際大学名誉教授安仁屋政昭氏の講演がエル大阪(地下鉄「天満橋」西へ徒歩五分)で予定されている。皆さんの注目と参加を呼びかけたい。(大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会世話人 服部良一)
2006年09月18日更新
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加藤紘一への右翼テロ糾弾!
 八月一五日、自民党・加藤紘一衆議院議員の事務所(山形県鶴岡市)が放火され全焼した。小泉首相の靖国参拝をたびたび批判してきた加藤氏に対する右翼テロのようだ。加藤氏は、「今後も発言を続ける」と語っているが、今回の右翼テロは、一九三二年に起こった一連の右翼テロを思い起こさせる。
 一九三二年二月九日、元日銀総裁・井上準之助が東京で応援演説しているところを暗殺された。翌三月には、日本橋にある三井本館で、三井財閥の総帥・団琢磨が暗殺。「血盟団事件」である。これにより軍部の肥大化を批判していた経済人はテロにおびえ発言を控えるようになった。テロは功を奏したのである。
 その後、五月一五日には帝国海軍急進派の青年将校を中心とする反乱事件=五・一五事件が起こり、政党政治は崩壊していく。日本が大きく右に動き、戦争へ突入する曲がり角となった一連の事件である。
 時代は一九二九年の世界恐慌に端を発した大不況。企業倒産が相次ぎ、社会不安が増している最中のテロ事件であった。こうした時代背景も、非正規雇用の若者が激増し、経済格差が拡大している現在の状況と相通じるものがある。
 ブッシュ政権が、占領や不公正に対する抵抗闘争に「テロ」のレッテルを貼り乱用しているために、「テロ」という言葉は本来の意味を失った。
 今回の右翼テロは、まさに言論を封じるためのテロ。戦前回帰を強める日本の行く先を暗示している。
2006年09月14日更新
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松本健次さんの死刑を止めるために
 かつての警察・検察の手による幾多のえん罪事件があり、それは今も作り出されています。しかしその中で支援運動があるのはそう多くないと思います。そしてその多くは少数の人たちの無償の行為で支えられています。中には当のえん罪者やその家族に信用されていないケースもあります。「一銭の得にもならんのに…なにかコンタンがあるんやろ」と。
 「ウンドウ」とかに縁もなく暮らしてきた人にとっては、とてもまっとうな感覚だと思います。そのような「健康」な人から見れば、支援運動はオタクっぽく得体の分からんもんとしてあるんでしょう。
 そんな中で公判の傍聴や通信の発行やと、日常的な営みに追われてヨソの運動を見る余裕はなかったんではないでしょうか。
 しかしこの間、「野田」、「恵庭」、「東住吉」の各えん罪事件の間で動きがあって、運動が孤立するのではなく、各々の事件のこと、運動のことをもうちょっと知り合って、お互い助け合い、応援し合いできないか、そんなことが見えてきたのです。情報の交換や共有をして、もう少しにぎやかなものにできないか。そんな思いで「えん罪NO!ネットワーク関西」をつくりました。
 この集会はその具体的な第一歩です。
 「松本健次さん事件」が様々な重大な問題を抱え、かつ死刑の危機にあることを私たちは最近知りました。
 松本さんの弁護人である金井塚弁護士は、再審請求や恩赦の申請など様々な手だてを講じて死刑の執行を阻止しようとしていますが、刑が確定して六年余。今の司法の流れからいっても「アブナイ」時期にきています。
 確かに松本さんは二件の殺人事件の犯行に関わっています。しかし事実は裁判所が認定したこととは違うようです。
 松本さんにはお兄さんがいて、共に水俣病に起因する知的障害者ですが、弟の健次さんの方が重度です。今、わかっている様々な事実から推測できることは、警察・検察はこの事件を「解決」するために、知的障害のある健次さんを主犯に仕立てて、一切の罪をおっかぶせたのではないかということです。もしそうだとすると、これもまたえん罪だと思います。
 私たちもまだまだ知りたいことがあります。健次さんのこと、水俣病や障害のこと。兄の自殺のこと、相手の女性のこと、取り調べや捜査、裁判のこと、被害者の遺族から減刑の嘆願書が出ていること…など。金井塚弁護士に来ていただいてお話をうかがいたいと思います。
 私たちに特に何事かができるわけではありませんが、とにかくできるだけ多くの人にこのことを知ってもらいたいと思っています。特に障害者の問題、水俣病の問題、えん罪や再審事件、死刑の問題などに関わる人には見すごすことができない問題だと思っています。
 どうか一人でも多くの人に足を運んでいただけますよう、お願いいたします。

えん罪NO!ネットワーク関西第1回集会
●日時=9月23日(土)午後2時〜5時
●会場=ピースクラブ4F(大阪市浪速区大国1-11-1〔1F喫茶「キジムナー」〕電話・06-6646-0358/地下鉄「大国町」歩4分、JR環状線「新今宮」歩8分)
●内容=金井塚康弘弁護士(松本健次さん弁護人)のお話、他
●参加費=500円(資料代)
●主催=えん罪NO!ネットワーク関西
・青山正さんを救援する関西市民の会
・恵庭冤罪事件を見つづける会・大阪
・松本健次さん再審連絡会
    9.23ピースクラブ有志
●連絡先=青山正さんを救援する関西市民の会
(大阪市東淀川区東中島4-1-15 障害者問題資料センター
りぼん社気付 電話・06-6323-5523 FAX ・06-6323-4456)
2006年09月10日更新
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小泉首相の靖国神社参拝
 ついにというべきか、やっぱりというべきか。小泉は8月15日に「靖国」に参拝した。テレビの記者会見をみたが「この日を避けても批判・反発は同じだから、適切に判断した日が今日である」と完全に居直っていた。戦後の宰相でこのようなタイプの政治家はいなかった。戦後61年の風化を象徴する政治家として歴史にに名をは刻むであろう。
 その直前に用件があって近くの郵便局に行ってみた。70歳半ばの老婆4、5人が大声で小泉参拝を話題にしていた。「中国や韓国が反対するから『靖国』に行くなと言うのはおかしい」「18や19で死んだ若い兵隊さんもおるやないの」みんな小泉参拝に賛成だった。
 考えてみると、小泉参拝はあきらかにこれらのおばあちゃんらの支持をきちんと計算したものであったろう。これだけの「悪政」をやってのけても、選挙に勝ち、いぜんとして内閣支持率が落ちない秘密とは、あの「欲しがりません勝つまでは」という呪縛に耐えながら、それでいて敗戦の「玉音放送」に涙して戦いを諦めた国民性ということであろうか。
 もはや日本は、経済戦争でもけっして勝者ではないのであって、空気の抜けた戦意でナショナリズムの復活なんてアナクロニズムでしかない。民衆の側の対抗論理とはなんであるか、頭を冷やして考え直す時期ではないだろうか。(F)
2006年09月06日更新
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中国内戦を戦った日本兵の真実
 2600名の日本兵がポツダム宣言受諾後も中国に残留し、武装解除を受けることなく中国内戦を戦ったという史実を初めて知った。彼らは中国国民党系の軍閥に合流。戦後なお4年間共産党軍と戦い、約550人が戦死、700人以上が捕虜となった。
 勝手に国民党軍に志願したというのが日本政府の公式見解だが、事実は違う。当時戦犯だった軍司令官が責任追及への恐れから軍閥と密約を交わし、兵士たちに残留を強いたのである。ところが国は未だに元残留兵らが求める戦後補償を拒み続けている。
 国家に捨てられた兵士―奥村和一さんらは、「自分たちは、なぜ残留させられたのか?」真実を明らかにするために中国に向かう。が、ここで心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近の1945年、奥村さんは“初年兵教育”の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられた。戦争の被害者でもあり加害者でもある奥村さんの内面の葛藤が続く。自らの被害を証明するための中国旅行は、謝罪の旅となるのだが、「謝るだけじゃダメだ」との転機が訪れる。家族に語ることもできなかった「自らの戦争」を語り始める。
 体に埋め込まれた迫撃砲の破片を伴い戦い続ける奥村さん。使命感を背負う人の奥深さと強靱さが伝わる。一方小泉は、国家に捨てられた兵士の叫びを知りながら、なお靖国参拝を強行しようとしている。(H)
2006年09月04日更新
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