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編集一言2005年02月ログ

我々と奴らが標榜する「協同」の違いとは
 山之内靖は対談集「再魔術化する世界」の中で戦時期ファシズム国家で一様に≪コーポラティズム≫が強調された事実を指摘し、その歴史的意味を問うている。「協同」の熱狂的支持が、ラチ外に取り残された他者への排除へ突き進んだというのだ。
 そういえば9.11以降のアメリカも、ある種の「協同」を振りかざし続けている。その下では、貧富の対立も、人種の対立も後へ追いやられ、「ゴッド・ブレス・アメリカ」を受け入れるか否かが突きつけられているようなのだ。そして、「正義」や「自由」といった普遍的価値の名の下で、アフガニスタンにイラクに無数の爆弾と銃弾が打ち込まれ続けている。
 ブッシュ政権が意図的に使う宗教的倫理観や道徳観に、市場経済から疎外されているはずの貧困層や移民労働者が組織されるという現実は、「協同」への人々の素朴な共感がブッシュを操る支配者たちによってかすめ取られた結果だと言えなくもない。それは、新たなファッショを意味している。
 我々は「協同」を原理とする世界の構築をめざす。その為には、その原理を否定し、破壊せんとする勢力との闘いは不可避だ。その時、我々と奴らが標榜する「協同」のどこが決定的に違うのかを明確にしておくことは重要だろう。「競争」は絶対悪なのか。「協同」と「階級」はどのように関係しているのか。
「協同」は、決して思考を停止させても良い万能薬ではないのだから。(M)
2005年02月28日更新
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強いられる「自己責任」を逆手に自らが主体者に 共同連事務局長 斉藤懸三(56)
 二〇〇五年は障害者にとって大変な年である。というのは昨年末、厚生労働省が「改革のグランドデザイン案」を発表し、本年新たな「障害者自立支援給付法(仮)」を制定しようとしているからである。これは、戦後六〇年近く積み上げてきた社会福祉制度を根底からひっくり返してしまおうという改悪である。
 「自立支援」などというと聞こえはいいが、要は障害者に「自己責任」「自己負担」を押し付けようとするものである。専門家によって福祉サービスの量や内容が決定され、しかもそのサービスを利用したければ金を払え、ということになる。
 労働市場から排除されてきた障害者は、自らの生活の糧を得るすべがない。ようやく「福祉国家」のかけ声の中で「障害者基礎年金制度」がつくられ、様々な福祉サービスを無料や低額で利用できるようになって、その生活圏を拡大することができるようになってきた。更に、高齢社会の到来を迎えて、一層の福祉社会への前進が図られるかの期待を抱かせた矢先である。
 巨額の財政赤字や景気低迷を理由に、社会保障・社会福祉の抑制削減が一気に進んでいる。介護保険制度における高齢者の利用者負担をいいことに、年金以外所得のない障害者にも自己負担を強制しようとしている。
 月額六万六千円〜八万三千円という基礎年金しかない障害者に対し、例えば入所施設に入れば、そのほとんどが取り上げられてしまう。在宅サービスも、より多く使うより重い障害者であれば、たくさん利用料を払わねばならなくなる。働いて自活しようとしても、所得税よりはるかに重い利用負担が発生してくる。
 こんな福祉破壊が許されていいはずはないが、多くの障害者関係団体は、「財政難」の脅しを「障害の垣根を越えた地域福祉」というアメに惑わされて、既にその軍門に下ってしまっている。そんな中でどんな希望を見出すことができるのであろうか?
 現在、財界は障害者の「自助努力」を求めている。障害者はこれまでサービスの利用者・実益者に甘んじてきた。ではその主張を逆手にとって、自らがサービスの提供者・主体者となる他はない。
 また、財界が強く求める規制緩和の流れに沿って、NPOや営利事業者の福祉参入が進められている。これまでの厚生労働省の下請けでしかなかった社会福祉法人に変わって、ここでも自らがNPO法をつくり、その参入を加速する流れを利用して、自らが主体者となる他はない。
 更にいえば「地域福祉」「地域主権」の強調も時代の流れである。国家の行政責任が薄まる中、地域から中央を包囲する戦略の地域的拠点を確立していく条件は増大している。
 障害者の労働参加にこだわってきた私達共同連としても、労働市場から排除されてきた、障害者・高齢者・女性・若者・ホームレス・外国人などの労働権確立のための「社会的事業所」づくりを目指し、地域変革の足がかりを踏み固めていきたいと思っている。
2005年02月20日更新
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ブッシュ再選で分裂深まる米国社会と世界 ブッシュの戦争に四〇〇〇億j出した小泉
 一月二〇日、米大統領にブッシュが就任しました。就任式は厳戒態勢のもとで行われ、数万人の市民が抗議集会を行うという異例のものでした。
 米国内は事実上、南北二つに分裂しています。この国では、「国民的合意」などおよそ不可能です。
 選挙では、ブッシュの地元・テキサス州南部を始めとして、キリスト教原理主義を信奉する福音主義者教団が農業労働者家族を中心にして広がっています。ブッシュも前回の選挙でこの教団の支援を受けましたが、今回も同じでした。
 これが、今回の選挙で北部の農業地帯にも浸透し、伝統的な民主党の支持基盤をも侵食していたのが印象的でした。
 民主党の伝統的な支持基盤は北部の労組、東部の中産階級・インテリ層ですが、北部の農村地帯が南部から広がった福音主義者に侵食され、彼らに包囲されるという構図に、米国の政治地図が変わりつつあります。
 このような政治状況の変化を加速させたのが、三年前の九・一一テロであったことは、言うまでもありません。ブッシュは自分の「石油泥棒」がアラブ・イスラムの人々の怒りを買ったことを棚にあげて、九・一一テロとは無関係のフセイン政権打倒を目指して、イラク戦争を始めます。
 九・一一テロの首謀者=オサマ・ビンラディンは、もともとジョージ・ブッシュと「旧知の仲」でした。ブッシュが大学を出て商売を始めた時、この会社の出資者の中の一人がビンラディンでした。
 アフガニスタン西部に巨大な天然ガス田があることを知った米メジャー・ユノカルは、これをパイプラインでインド洋のカラチまで運ぶことを計画します。
 ところが、米国でクリントンからブッシュへ、政権交代が起こり、米国の交渉態度が一変します。ブッシュに替わるや「俺の言うことを聞け。でなければ協議は打ち切りだ」と。
 これに激怒したのがビンラディンで、これが原因となって彼は九・一一テロを指令した、と私は見ています。彼は極めて冷静な判断力の持ち主です。
 彼の起した九・一一テロが米国人に与えた精神的ショックは、大変なものでした。この米国人が受けた精神的な傷を最大限政治に利用したのがブッシュでした。
 ブッシュのイラク開戦の最大の理由は「サダム・フセインがビンラディンらテロリストを匿っている」ということにありました。だが、フセイン政権はイスラムとは無関係の世俗主義者の集まりで、始めからイスラム原理主義者のビンラディンとも無関係でした。
 世界第二の石油埋蔵量を誇るイラクに、米国の言うことを聞こうとしない民族主義的政権が居座っていることが邪魔だったに過ぎませんでした。
 ブッシュは「神の恩寵」という宗教的用語の影に隠れて、石油強盗を試みたに過ぎません。祖国の侵略者に対して、イラクの人々は我が身を犠牲にして立ち上がっています。
 一月三〇日に暫定政府の下で総選挙を行い、その後で米軍撤退、というのが米国のスケジュールでした。しかし、これは「反米闘争が抑えられれば」の話で、架空の物語に過ぎません。
 一六万五〇〇〇人の米軍のうち、犠牲者は既に一三〇〇人を超えています。反米武装闘争が続くなら、ブッシュは厳しい選択を迫られます。米軍が撤退すれば、直ちにアラウイ暫定政府の崩壊です。
 ブッシュ政権は昨年、人気回復を狙って五〇〇〇億jの大幅減税に踏み切ります。これを財政的に支えたのは小泉政権でした。
 この財源を米国内で調達すれば、利子率の高騰が避けられず、景気後退に直結します。それで、ブッシュに救いの手を差し伸べたのは小泉首相でした。
 日本が四〇〇〇億jの米国債を買い取ったのです。その結果、日銀の外貨支払準備資産は、一挙に四〇〇〇億jも積み増しされました。
 ブッシュ政権がこんな安易な人気取り政策を野放図に続ければ、ドル暴落の危機を自ら招き寄せるだけです。この尻拭いをするのは日本です。
 ブッシュの盟友・小泉はそれで満足でしょうが、これは日本経済の破綻に直結します。小泉首相はそれで満足でしょうが、日本国民はご免です。(W)
2005年02月18日更新
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「震災の教訓」と「靖国の英霊」
 兵庫県南部地震からとうとう10年が過ぎた。あの混乱と喧騒のなかで、それでも「ここから何かが変わっていくのではないか」と期待と不安と焦燥のないまぜになった気分をなつかしく思い出す。それだけ遠い昔のことになったといことか。
 「熱狂の中で達成できたことを、過大に評価すべきではない」とは、震災での諸活動を総括しての野田正彰の言葉だったかと思う。私もそう思う。神戸空港は来年開港する。もてはやされたNPOは、町内会に代わる翼賛組織と化している。大型の公共工事が続行する中で、民生面での施策・予算の充実は図られない。今頃になって「復興公営住宅の高齢化は問題だ」などと、造った時からわかっていたことを専門家や官僚は、いけしゃあしゃあと述べている。要するに、我々は敗北したのだ。
 それでも、自称・被災地文化を代表する人たちは、「震災の教訓」なるものを高らかに謳われる。しかも、それがどんなものであっても他者の批判を寄せ付けないものになっている。犠牲者6,400人の命を楯にとって、何か一方的な価値観を押しつけているような気がしてならない。―ああそうか、「靖国の英霊」と同じ構図なんだ。
 10年が過ぎれば、禍々しい「震災」のオンパレードはなくなるのだろう。いいことである。震災のことはもう忘れてしまうことにこそ、現在の社会にとって有意義なことだと思うのは、私のみのひがみだろうか。(K)
2005年02月17日更新
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生産力主義を超えて 水野阿修羅(56)
 かつて資本主義を批判して共産主義が生まれた時、世の労働者は期待した。体制が社会主義になれば、「労働者の天国だ」と。
 生産を上げ、経済的豊かさが第一だとばかりに突進した社会主義国は、資本主義以上の公害を生み出し、官僚社会を作った。それに対して、批判された資本主義の側が、環境政策を取り入れた生産を打ち出している。資本の論理=儲けなければならない、というのは相変わらずだが、経済的豊かさがストレートに人生の豊かさになってないことに気付き始めた人たちも多い。
 今年の一一月二八日の朝日新聞に、二つの面白い記事がのった。一つは社会主義体制が変わったモンゴルでの新しい動き。「遊牧から学ぶ個と共同の力」と題した文の中で、「資本主義的生産と田園生活の併存」を見た日本人学者が、日本の過疎地の再生に取り組んでいる姿であり、もう一つは『社説』「少子化」の中で、イギリスが官民あげて、「仕事と生活の調和策」を打ち出し、新しい働き方を導入して成功しているのが、出生率の上昇にもつながった、とする動きだ。
 日本でも高度成長期、大人たちは家族をかえりみず働いた結果、家庭崩壊を生み出した。増加するDV、ひきこもり、自殺、さらにニート(無業者)。
 貧しかった時、人びとは生きるために必死で働いた。「なんで働くのか?」とか考えず、働くことに意義や楽しみを見つけられなくても、「働く」というのはそんなものだ、と思っていた人が大半だろう。しかし、食うに困らない社会になった今、子供たちは、「何のために働くのか?」とか「働くことは楽しいか?」と考え始め、親たちの苦しそうな顔を見たとき、「働く意欲」も失い始めている子が増えている。
 社会主義の原則として私が教えられたのは、「働かざるもの食うべからず」だった。これが正しいかどうかは置いておくとして、何のために働くのかを子供たちが考えだしている時、大人たちはどう答えるのか。
 「働かなきゃ食えない」とか、「第三世界の犠牲の上にこの豊かさがある」というのだろうか?
 人間と人間の関係性を変えずに、生産力だけあげても、それは新しい消費=欲望のあおりたてにしかならないのは、今の中国を見るとよくわかる。(今の中国を批判するつもりはないけど)
 「ビッグ・イシュー」という雑誌の代表は、あえて「運動」ではなく「ビジネス」だと言う。ホームレスに役に立つことと、会社が成り立っていくということを、ビジネスとしてやり抜こうというのだ。これも、イギリスが始めた新しい動きだ。
 欲望をかきたてて、生産を増強する一つの方法だが、環境と共存しながら生きていく楽しさと、資本主義的経済の中でそれを貫いていくことが、結局、資本の論理を食い破っていくような気がする。NPOの「P」の部分、「非営利」ということの意義は、経済を無視せず、カンパだけで成り立つ運動ではなく、資本の論理に対抗する新しい動きに、私は希望を見いだす。
2005年02月16日更新
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人道的で本当の国際貢献 グローバルピースキャンペーン きくちゆみ(42)
 このテーマ(「どこに希望があるか?」)ではすらすらと筆が進まない。二〇〇三年三月に戦争が始まってから、イラクで殺された人が一〇万人以上。そして、スマトラの地震と津波では十五万人以上が亡くなった。前者は人災、後者は天災。自然の脅威の前に、いかに人間はか弱いものか。
 それならどうして人間同士で助け合えないのだろう。どうして人間同士で殺しあうのか。戦争はばかげている。人を殺し、家を壊し、環境を破壊し、汚染を残し、悲しみと憎しみと絶望を増やし、暴力を醸成し、戦争屋が儲けるだけ。権力者がしかけて、権力者が儲けるのが戦争なのだから、どうか兵士に志願しないで。大儀に惑わされないで。戦わないで。あなたが殺している相手は、敵ではない。
 二〇〇一年九月一一日の事件以来、グローバルピースキャンペーンを立ち上げ、ネット上で呼びかけて米国主要紙に意見広告を出し、本や映画を翻訳し、制作してきた。ネットでチームを募って、これまで『戦争中毒』『バタフライ』『デニスクシニッチ』という本、『テロリストは誰?』『九一一ボーイングを捜せ』というドキュメンタリー映画の日本語版を完成させてきた。やろうと意図したことは、一つ一つ何とかやり遂げることができた。つまり、日本にそれだけの賛同者がいて、さまざまなサポートをしてくれたということ。希望はここにあるのかもしれない。
 例えば、『テロリストは誰?』というドキュメンタリー映画は、アメリカの外交政策の本質に迫った作品だが、半年足らずで一五〇〇本が売れ、自主上映運動が広がっている。
 『九一一ボーイングを捜せ』のほうは、自主上映会が始まったばかりだが、DVDは、発売から二ヶ月間で千本だ。九一一事件はテロリストの仕業と信じ込んでいた私にとって、この映画は衝撃的だった。
 『九一一ボーイングを捜せ』の売り上げの二割はスマトラの被災者救援、とくに被災地の留学生の帰国費用に充てることにした。オープンジャパンがこの目的で募金を募っているので、どうか協力してほしい。送金は郵便振替でオープンジャパン〇〇九八〇ー五ー一二二九〇へ(通信欄に「留学生」と明記)。
 九一一事件の真実を解き明かすことは、戦争を止める力にもなる。と同時に、スマトラの被災者への救援ができるのだから、一石二鳥だ。
 スマトラの地震で多くの子どもが孤児となり、あるいは多くの親たちが子どもを失った。善意のボランティアが殺到し、募金も集まっていると同時に、孤児を人身売買するケースも、インドネシアのアチェなどで多数報告されている。子どもたちが奴隷や売春目的で売られ、臓器売買の対象になっていると聞くと、「人間はどこまで残酷になれるのか」と、絶望的になる。しかし、どちらも人間のやること。自分はどちらに立ち、何に加担するのか、問われるところだ。
 相変わらず自衛隊がイラクに駐留している。その費用をスマトラ地震の救済に全額振り向けられないのか。地震国、経済大国の日本だからこそできる国際貢献が、ここにある。軍事行動(軍事支援と呼ばれる)は「普通の国」に任せよう。日本は日本らしく、アジアの経済大国として、スマトラ地震と津波の四〇〇万人ともいわれる被災者を救援しようではないか。他国に武器を持って駐留するような「国際貢献」より、地震と津波の被害者を救済することのほうが、はるかに人道的で、本当の国際貢献といえるのではないか。
2005年02月15日更新
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お前ら、新宿区百人町を知っているかー? 松本 哉(27)
 毎年毎年、何もめでたくない正月が次々とやって来やがる。最近のニュースだって、権力者のバカどもがのさばるか天変地異ぐらいなもんだ。うーん、世の中は先行き暗いかと思いがちだが、諸君、心配には及ばない!東京・新宿区には百人町というアナーキーなエリアがある。ちょっとそのスーパー都市=百人町を紹介してみよう!
 新宿には、百人町というとんでもない地域がある(駅は新大久保)。基本的に外人・ヤクザ・風俗店・日雇いのオッサン達などによって街が成り立っている。飲み屋などに入っても、前科十犯のオヤジが武勇伝を語り始めたり、「コンド、○○ノ△△ヲコロス」などと物騒な事を言い出す外人が現れたりする。まあ、これだけだとただの治安の悪い街だが、すごいのはこのエリアのアナーキーぶり。夜などは通行人のほとんどが外人。割合は韓国・中国をはじめアジア系が多いのだが、中華街やコリアンタウンのようなひとつの文化の街ではなく、きわめて雑多!ひとつの国や文化によって秩序を保つのは簡単だが、多文化の秩序はなかなか楽なもんじゃない。百人町では、日本の法律はあまり通じないが、地域で秩序が成立している!これはすごい!
 外人たちの独自ネットワークのレベルの高さが、その秩序を実現している節もある。パスポートを持っていない奴でもアパートや仕事も見つかるし、病院だってちゃんと行ける。「大久保ヲ日本カラ独立サセル!」などと言ってる外人のオッサンまでいる!
 ここ一年ほどで、このあたりで四回デモをやったんだが、デモ後にいろんな飲み屋に行ってみると、ウケもいい。「俺も行きたかったんだけど捕まると強制送還になっちゃう」という密入国中国人や「ブッシュは悪人だから殺した方がいい」というカレー屋のパキスタン人もいた。潜在的に現体制がぶち壊れるのを待ち望んでいる連中、密入国して金を稼ぎに来て、事実上、国境を解体してしまってる奴ら、日本の貧乏人階級、非合法系商売の連中・・・こういう有象無象がウロウロしている街は実にいい街だ。たぶん、石原慎太郎なんかは最も嫌いな街だろうが・・・。
 もちろん、このアナーキー都市・百人町への攻撃も激しい。主要な公園は夜間封鎖し、交番も増設し、毎日不当な職質をしまくり、日本人じゃない者を片っ端から捕まえている。だが、日本政府の世話にならなくても済むような地下ネットワークを持っているこのあたりの連中は、ビクともしない!表面上鳴りを潜めて、敵が姿を消せばすぐにまた登場する。有象無象の連携さえあれば、政府がロクでもない事をし始めても軽くかわせるのだ。
 地方の事はよく知らんが、日本の各地にもとんでもないエリアはたくさんあるはずだ。反逆的な連中が徒党を組んで地域に根を張っていけば、いい世の中になる事は間違いない!
 最近、敵がのさばってきてテンションが下がるかもしれないが、そういう時は百人町のドヤにでも一泊してみてくれ。間違いなく光明が見えるはずだ!野郎ども、エリアを奪え!
2005年02月13日更新
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「崩壊感覚」バネにした「反発力」 太田昌国(61)
 世界を見ても、日本を見ても、ほとんど「ない」としか思えない「希望」を、あえて求めようとするなら、次のようなことだと思います。
 それは、(私自身がそうですが)多くの人びとが感じているだろう(もっているであろう)「崩壊感覚」をバネにして生まれてくるかもしれない「反発力」です。「かもしれない」としか書けないところが口惜しいのですが、実際に、その程度のものでしょう。
 なにゆえの「崩壊感覚」なのか。
 ひとつには、アフガニスタン、イラク――と続けられている二一世紀初頭の、不条理な、あまりに不条理な侵略戦争を前にして、生まれてくる感覚です。「開戦」前に、反戦運動があれほど世界的な盛り上がりを示したにもかかわらず、大国のとびきり愚かな政治指導者の政策を食い止めることができなかったこと。
 いまなお強行されているその戦争で、アフガニスタンとイラクを合わせて一〇万人以上の死者が出ている現実を見せつけられていること。諦めずに、なし得る何事かを持続している場合でも、ふと独りでいる時に襲いくる「無力感」は相当なものです。
 ふたつには、憲法九条の規定と、自衛隊の存在をめぐって、欺瞞に欺瞞を重ねてきた日本の戦後史が六〇年目を迎えたいま、生まれてくる感覚です。さらに上乗せできる欺瞞がありえたのか、と驚くほどの「論理」を駆使して、日本の現政治指導部は、ひとつ目に触れた戦争に参戦しました。こんな時代を招来するために「戦後史」はあったのかという「徒労感」も相当なものです。
 最後には、日本と世界各地を襲う自然の猛威を見て、生まれてくる感覚です。いまだその脅威にわが身がさらされていないので、いささか客観的な物言いになりますが、それは、聖書や各地の神話が語ってきた「天地創造」をすら思わせるほど強烈なものです。私たちが培ってきた人生観・生命観が激しく揺さぶられていることを、私は実感しています。
 人為的で、愚かな、したがって食い止めることができるはずの戦争と、人になし得ることは限られている自然の「反逆」の狭間で、私たちは「崩壊感覚」にさらされている。根源的な問いを自らに発して、自力でそれへの答えを見つけ出さなければ、私たちはそこから抜け出ることはできない。「崩壊感覚」をバネにした「反発力」が、この時代を変える強靭な思想と行動を生み出すかもしれない。
 一縷の希望を託しているのは、そのことです。
2005年02月12日更新
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政治も経済も文化も自分たちが主人公ではなかった
 自民党が今年立党50周年を迎えるという。生き物に寿命があるようにシステムにも制度疲労は避けられない。このままなら自民党60周年はないだろうとブル新の政治記者がコラムに書いている。といって民主党がそれに代わるということではないし、共産党や社民党が再生する可能性はゼロに近い。とすればこの先の日本の政治をどうするのか。
 「もはや戦後ではない」というのが1955年(昭和30年)の「経済白書」のキャッチフレーズだった。戦後60年、人間で言えば還暦だが物は豊かで便利になっても、仕事の達成感や暮らしに安心がない時代は幸せな社会とは言えない。結局のところは政治も経済も文化も自分たちが主人公ではなかったということだ。
 最近の労働現場や家庭生活はひどいものだ。インターネットやケータイなしに生きていけない時代になろうとしている。けれども、戦争や自然災害や疫病の前に無残に殺されていく人間の姿は、昔も今も変わらない。人と人が信頼しあい助け合って生きていく時代。人と自然が楽しく美しく共生していく時代。政治の再生とは、文明や自然の崩壊から始まるのかも知れない。今年のわれわれのキャッチフレーズは「もはや自民党の時代ではない」でいこう。(F)
2005年02月11日更新
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悪化しつづける「労働者・農民の搾取と収奪」
 「サービス残業不払い賃金248億円」「有給休暇、過去最低の取得率47%」「うつ病など精神疾患労災請求、過去最多246件」(03年度厚生労働省調査)これは最近の新聞の見出しだ。同調査では、精神障害の患者数は02年に52万9千人で、3年前より4万人増加、6割を超える労働者が仕事に関する強い不満やストレスを感じていると答えている。
 これらは正規雇用労働者の労働実態であって、現在全雇用労働者の34%、約2千万人といわれる非正規労働者の無権利状態は押して知るべしである。今や労働現場は労働法の無法地帯、労働組合のゼロ地帯である。戦後日本の労働運動は振り出しに戻ったと言わねばならない。
 世界資本主義は科学技術の発達による合理化によって今日の社会的富と文明を築いたが、それらは陽の当たる部分であって影の部分の労働者・農民の搾取と収奪の基本構造は何ら変わっていない。資本主義の原理主義は影の部分に貫徹しているのである。(F)
2005年02月02日更新
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