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編集一言2004年09月ログ

パレスチナ西岸地区の道路のアパルトヘイト化 脇浜義明
 8月10日、イスラエルの市民平和団体ブツェレムが「禁断の道路/差別的西岸地区道路体制」というレポートを出した。それによると、西岸地区の41本の道路と区間(総距離700q)が、パレスチナ人通行制限の対象となっている。
 ブツェレムはそれを3分類している。@パレスチナ人の全面的通行禁止道路、A特別許可を得た場合のみ通行が許される道路、B一定の条件のもとで通行が許される道路。もちろんイスラエル人の車両は自由な通行を認められている。AとBの特別許可および一定の条件つきの道路については、パレスチナ人に通行許可を出す・出さないはイスラエル治安当局の胸三寸にかかっている。申請があってもたいていは拒否されるが、拒否は口頭で伝えられ、拒否理由の説明は一切ない。IDFの民政部長イラン・パズ准将によれば、「通行許可申請に関する審査基準はない」という。
 禁断の道路体制はもう何年間も施行されているが、それに関する規制や規則が明文化されて発表されたことは一度もない。だからIDFは説明責任なしで、好き放題にこの体制を実行している。
 この道路体制は、「パレスチナ人はすべて治安上の脅威である」という前提に立っている。その前提のもとで、西岸地区の数十万人のパレスチナ人の移動の自由と平等を侵害しているのである。国が自国民の安全を守る義務・権利があるのは認めるが、だからといって地元住民パレスチナ人が、自分が生まれ育った土地を自由に通行する権利を奪い、彼らを狭い空間に閉じ込める権利はないはずだ。このように出身民族に基づいて通行を差別するやり方は、かつての南アフリカのアパルトヘイトを想起させる。これは、イスラエル国も当然守らなければならない国際法にも違反するものである。
 ブツェレムはイスラエル政府に禁断の道路体制の即時廃止と、西岸地区のパレスチナ住民が自ら生まれ育った土地を自由に通行できる権利を尊重するように、要求をつきつけている。
2004年09月30日更新
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自分たちのための空間
 街中で、意味もなくボーッとできる場所、というか一息つける場所がなくなったように思う。空き地に、季節の草花が生い茂り、ふと季節を感じるということも少ない。
 駅の改札の中すら、店舗が建ち並び「駅の中で金使え」とうるさいこと。ゆっくり待ち合わせもできやしない。
 遠慮などせず、私たちはもっともっと街中に自分たちのための空間を取り戻すべく、のさばるべきだと思う。(Q)
2004年09月28日更新
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田畑稔 著『マルクスと哲学』
 「もう一度」哲学に対するマルクスの関係を、その転変の意味を、マルクスが哲学の外部にポジションを取ろうとした意味を、そして「万能の合い鍵」を拒んだことの意味を、逆に言えば、人々が「万能の合い鍵」をマルクスに求め続けたことの意味を、問い直すべきである。
 「アソシエーション」をマルクスのキーワードとして読み解いた哲学者・田畑稔氏の近著『マルクスと哲学』の前書きは、こう始まっている。ろくにマルクスも読んだことのない自分が、「再読」というのはおこがましい限りだけれど、「目からウロコ」の思いが強い。
 行き着く先は、「商品経済」自体の否定が不可避と断じながら、事業活動に日々励んできた。モノの売り買いのたびに、今も感じる違和感と罪悪感は、「手段としての金稼ぎ」という傲慢さを必然としていた。そして限りなく引き裂かれるその先にに未来はない。
 「地域」と「アソシエーション」をキーワードにして、自分たちの活動を総括しようという試みを始めて5年。「変節だ」という批判が聞こえてくることも覚悟の上で、現に在る人々の生活の変革を積み重ね、違う世界が見えるように。
 しかし、その道がズブズブの現状肯定に行き着かない保障は何か。政治変革・国家権力との対峙はどうか。不明、不明が頭をぐるぐる廻る。
 そんなトチ狂った頭の中を少しはスッキリさせてくれそうな『マルクスと哲学』。労作です。読むのに疲れます。(M)
2004年09月24日更新
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野宿者への「福祉」が存在しない大阪市
 釜ヶ崎の花園公園で野宿していたIさんは、高齢で野宿していくことが困難になり、今年五月二七日に「市立更生相談所」(市更相)に生活保護の申請をした。Iさんは、市更相に「施設に入れ」と強要されたのを断って、テント生活を続けながら生活保護の決定を待った。
 生活保護は無事に決まり、Iさんは六月八日にアパートの敷金・布団代・家具什器代・生活扶助費の受給を受けた。ところが、保護の申請をしてから決定がされ受給を受ける前日までの一一日分が支給されておらず、さらにIさんへの生活保護の決定通知書が交付されていないことが分かり、Iさんは、これを不服として大阪府に審査請求した。
 すると、慌てた市更相の職員二人が、Iさんの自宅を訪れて、通知書を持ってきたが、これが申請後六三日後のことだった(生活保護法には「一四日以内にしなければならない」とある)。
 釜ヶ崎の日雇い労働者・野宿生活者への福祉事務が市役所の「福祉事務所」ではなく、市更相なのは、「日雇い労働者・野宿生活者への行政サービスは一般市民から隔離した所で」という差別的な意味も多分にあるのだろう。
 大阪市では、こうした例は枚挙にいとまがない。大阪市は、主要な公園を巡回して「施設に入れ」「野宿するな」と「面接」をして廻っている。公園事務所は「福祉もありますから」「管轄内で野宿している人に病人が出たらいけないから」と言っているが、それは口実に過ぎない。
 たとえば数年前、大阪城公園で公園事務所の職員が、野宿者に対してカッターナイフをちらつかせながら「出ていかないなら、このテントの紐切るぞ」を恐喝したというとんでもない話もあった(この職員は責任を問われないまま、「異動」という形でうやむやにされた)。
 また西区の公園で野宿するAさんは、パーキンソン病に罹り、生活保護を申請したが「まだ若いから働きなさい」といわれ、震える手で職安に仕事探しに通っているという。
 大阪市に問う。君たちにとって「福祉」とは何だ。(編集部 小比類巻)
2004年09月21日更新
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ウトロに生きつづける
 真夏の太陽が照りつける中、五〇〇名の人々が集まった。ウトロ町内会の厳本さんから経過説明や最近の動きなどの説明があった。「もうすでにとれる法的手段は尽くしました。あとはウトロ住民の団結でがんばっていくしかない」。
 その後、「ヒューマンチェーン」、さらに「ウトロ農楽隊」を先頭に近鉄・大久保駅までデモ行進で「ウトロを守ろう!」の意思表示をおこなった。デモコースの左手には「陸上自衛隊大久保駐屯地」の敷地が広がる。自衛隊がイラクに派兵されてしまった今、かつての植民地支配の跡であるウトロが「強制執行」という形で精算されようとしていることを考え合わせると、私たちは暗澹たる気持ちにならざるをえない。
 しかし、これまで土地取り上げ・建物の解体を許してこなかったのは、紛れもなくウトロ住民の団結の賜である。
 「私たちはウトロに生き続ける」と書かれた立て看板がウトロの街のあちこちに立てられていた。これら言葉の重みを噛みしめながら、この日の緊急行動は終了した。
(編集部 小比類巻)
2004年09月19日更新
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強制執行を許すな!ウトロを守る緊急行動」に五〇〇人が集まり「人間の鎖」とデモ
 八月八日(日)、京都府宇治市のウトロ地区で「ウトロを守る緊急行動」が行われた。この緊急行動は、「在日の集落」=ウトロをめぐる情勢がいよいよ緊迫の度を増してきたことを受け、呼びかけられたもの。今年の春以降、不動産屋・解体業者がウトロに出入りしはじめたという。
 ウトロでは高齢化が進んでいる。もし「土地を明け渡せ」と強制処分が行われることになれば、高齢で生活保護を受けているウトロ住民は、行くところがなく、それこそ「ホームレス」になってしまう。ウトロ住民の不安やとまどいは大きい。
2004年09月18日更新
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ニッポンの夏
 ニッポンの夏は、六月の沖縄慰霊の日」から八月の「敗戦記念日」に至るまで、戦争と平和に思いを馳せる季節。
 自衛隊がイラクに派兵され、有事立法も着々と整備されている現状にあって、「平和な世界」をつくっていくことの意義は、ますます大きくなっています。
 しかし、イラクやパレスチナを始めとした世界中から、毎日のように「××人死亡」のニュースが流れ、いつしかそれが「単なる数字」にしか感じられなくなっている自分がいる。
 私たちの仲間が殺されているのだ。戦争や抑圧においては、一人ひとりの人間が傷つけられ、理不尽な死に追いやられているという現実を忘れないようにしたい。そんなことを考えたこの夏でした。(ろ)
2004年09月17日更新
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老朽著しく代替対象/CH53型ヘリ(沖縄タイムス八月一四日)
 墜落したCH53大型ヘリは、危険性が以前から指摘されていた。同機はベトナム戦争用に開発された輸送用ヘリで、老朽化が著しく、安全性の確保に腐心していたのが現状だ。
 米海兵隊はすでに、同型機の代替機として垂直離着陸機MV22オスプレイ導入計画を進めているが、同機も試験飛行中に相次ぐ墜落事故を起こし、導入計画が大幅に遅れている。
 CH53は一九九九年四月、普天間基地所属機が国頭村安波の沖合に墜落し、四人が死亡した。さらに翌年二〇〇〇年八月にも米海軍所属機が米国内で墜落。乗員四人が犠牲になった。
 〇一年二月には普天間飛行場上空で二機のCH53が接触事故を起こしていた。けが人は出ていなかったが、地元自治体などへの事故発生の連絡が一カ月以上も遅れ、反発を受けた。
 米国防総省などがまとめた報告書でも、海兵隊所属機の事故率の高さが指摘されている。米議会調査局が〇二年にまとめた報告書では、死者発生や墜落など被害額が百万j以上に上る「Aクラス」に分類される事故の発生率が、空軍など他軍と比べて突出して高い。一九八〇年から二〇〇〇年までの統計で、海兵隊は飛行一〇万時間当たり四・五五件で海軍の二・五五件の二倍近い。一件当たりの死傷者数も一・三一で四軍の中でトップだ。

米軍機の主な墜落事故(復帰後)

2004年09月16日更新
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世界遺産ブームを目論む大手観光資本の自然破壊
 7月24日NHK大阪ホールで開催された紀伊山地の「世界遺産登録記念国際シンポジウム」を聴きに行った。主催は関連三県(和歌山・奈良・三重)とNHK(大阪)だから多くの期待はしていなかったが、登録対象が熊野三山、吉野・大峰、高野山の三つの霊場と参詣道とはいえ、基調講演者とシンポ・パネラーは誰一人として今の紀伊山地の過疎化と森林荒廃に触れなかったのには驚いた。
 筆者の知る限りでも海抜1000メートル以上の森林は地球温暖化と二酸化炭素(CO2)の大気汚染で立ち枯れが目立ち始め、日本の山林業も安い外国木材の輸入で成り立たず、山林労働も後継者難で荒廃は放置されたままになっている。
 行政もパネラーも観光中心の施設整備を避けて、自然保護と文化遺産継承の施策を基本にと口では言いながら、自然と文化遺産を蝕んできたのは森林破壊と山村の過疎化だという現実を直視する気はないらしい。
 かつて明治39年(1906年)「神社合祀令」に反対して紀伊山地の森林を守った先人、在野の世界的生物学者南方熊楠のことに触れるパネラーは誰一人いなかった。危機の本質はどうやら人災のようである。世界遺産ブームを目論む大手観光資本の自然破壊を厳重に監視しよう。(F)
2004年09月15日更新
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大阪人権博物館の戦争展中止 教育勅語暗唱のアナクロ=床田正勝市議またもゴリ押し
 大阪市立柴島中学校(東淀川区)の新校舎竣工式典で、「新校舎に魂を吹き込みたい」として「教育勅語」を全文暗唱したあのアナクロ=床田正勝市議(三五歳)が、またもやその本領を発揮した。
 大阪人権博物館(大阪市浪速区)で、七月二一日〜八月一五日に開催予定の企画展示「海南島とアジア太平洋戦争―占領下で何がおこったか―侵略・虐殺・略奪・性奴隷化―」(大阪人権博物館主催・紀州鉱山の真実を明らかにする会後援)に難癖を付けて中止に追い込んだのである。
 この企画展は、中国海南島での旧日本軍の侵略行為がテーマで、〇二年末から約一〇回にわたって打ち合わせ会議をおこない、準備を進めてきた。ところが、特別展「つくられる日本国民」(四月一三日〜六月一三日)開催中に、戦闘服姿の右翼集団が押しかけたり、床田市議がポスターの撤去・展示の即時中止などを要求したため、博物館側は「現在の状況で、企画展を開催すると、さらに右翼の攻撃が強まることが予想される」と判断。床田市議らの圧力に屈したことを認めた形で延期を決定した。
 こうしたなか、七月二五日(日)大阪人権博物館でドキュメンタリー・フィルム上映会=「日本に占領された海南島で ―六〇年前は昨日のこと―」(企画・制作=紀州鉱山の真実を明らかにする会)が行われた。
 「右翼の圧力に屈したくない」と「紀州鉱山の真実を明らかにする会」が主催した。当日は、五〇名ほどが参加。主催者からフィルムの背景や制作過程についての説明が行われ、上映後には感想を含めたフリートークに移り、盛会のうちに終了した。
 床田市議は、右翼らと共同して、平和勢力への攻撃を強めている。草の根右翼の跳梁闊歩に反撃を!
2004年09月14日更新
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日本人にとって熊野とは何か?
 和歌山県の吉野・熊野が「世界遺産」に登録され、テレビでも吉野・熊野を紹介する番組が増えています。しかし、これが一時的な流行で終わってしまったら残念です。
 ここで、日本人にとって「熊野とは何か」を考えます。この地は、私たち日本人の精神生活の上で大変重要な意味を持っている、と私は考えています。
 古くは、古事記の中で、神武天皇の「東征」物語の中で、紀州に上陸した一行が熊野の人々に助けられ、難波に入ったことが語られています。また、大和武尊の「熊襲征伐」の中に初めて「熊襲」という言葉が出てきますが、ここでは天皇に従わない賊軍との意味で使われています。
 こうして、熊野は天皇家にとって、彼らに容易に服従しようとしない「異郷の民が住む土地」として、扱われてきました。平安時代に入ると、都に異変が起こると、度々、天皇が「熊野もうで」をして、無事を祈願しています。
 藤原氏支配の平安時代は、宮廷文化の花咲く平穏な時代として語られていますが、それを一皮めくれば、貴族に対する武士の怨念が渦巻く世界でした。藤原氏に疎まれ、大宰府に流された菅原道真の生涯を描いた「北野天神絵巻」を見ると、当時貴族の用心棒に過ぎなかった武士の貴族に対する怨念の深さが、彼らの髪の毛の一本々々ににじみ出でいて、貴族の用心棒に過ぎなかった武士の彼らに対する怨念を深さは、その凄まじさに、見る者に身の毛が弥立つ思いを覚えさせます。
 それを鎮める役割を果たしていたのも熊野であり、平安時代を終わらせる武士階級決起の拠り所の一つとなったのも熊野でした。熊野とは、日本の歴史の中で、不思議な役割を果たしており、今だに魅力に満ちた土地です。
 奥深い熊野の山中で暮らす彼らは、天皇家の支配が及ばない「異郷の民」と見なされ、これが長く続きました。南北朝時代、都を追われた後醍醐天皇は山奥の吉野に匿われていました。
 ここの謎を解き明かす鍵は「熊」という言葉にあります。日本という国を作る上で主導権を取ったのは、朝鮮半島から渡ってきた渡来人でした。
 彼らは大陸から渡ってきた先進的な文化とともに、馬や牛など家畜を連れ、日本にやって来ました。だが、その中に熊はいませんでした。
 熊を連れて日本にやってきたのは、一万年前、氷河時代が終わるとともに、ヨーロッパからシベリアの森林をさまよい、樺太から北海道へ熊を連れて渡ってきた「日本原人」でした。
 彼らが住み着いた西の果てが、都から遠く離れた、険しい山に囲まれた熊野でした。こうして、言語も文化も全く違う二つの民族が出合い、熊を連れた日本原人の安住の地となったのが紀伊半島でした。
 ここでは中央集権化された日本の中で、お互いの文化、慣習を尊重し合う、独特の地域が形成され、今日に至っています。今だに「熊野詣で」が絶えないのも、その辺に現代人が魅力を感じているのかもしれません。(W)
2004年09月08日更新
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一度発生したら殲滅する以外に対処方法はないというが……
 鳥とウイルスは、何十万年も共生しきてきた。鳥インフルエンザのウイルスは、もともと低毒性であったものが、抗生物質や薬剤を多用した鶏の中を循環するうちに、薬剤に触れることで変異を遂げて、高病原性のものになったと言われている。
 O-157もまた、牛の腸内で薬剤に触れることによって高病原性のものになっていったと推定される。BSEは、牛が肉骨粉を食べることを通して、プリオンというタンパク質が変異し、毒性を持つに至る、という現象が起きている。
 遺伝子組み換え大豆の遺伝子に埋め込まれた抗生物質因子が、蜂の腸内のバクテリアに転移し、蜂の病気が広がっている。
 人間にとって都合の悪いものを殺していく薬剤、化学物質に頼った食料生産の方法はもう限界だ。「生産性をあげる競争を通じなければ、食料を作り出せない」というシステムも、もう限界なのだ。そのことが政治の中で正面から問われる必要がある。自衛隊がイラクで戦争に参加すること、年金がもらえなくなることの根っこにあるのは、私たち自身が生活のあり方を変更しないことによる危機なのだ。私たちは解決の方向性抜きの空騒ぎを聞かされている。
 イラクのゲリラ掃討作戦を見ていると、鳥インフルエンザを出した農場の光景がダブって見えてくる。一度発生すると徹底的に殲滅する以外、対処方法はないという。発生までに、生きていくための健全な環境があること、それが根本的な解決であることは明らかだ。(I)
2004年09月06日更新
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「白手帳没収」という悲劇 日雇い雇用保険保持者、半年で二千人減
 七月三一日〜八月一日の二日間、釜ヶ崎にある西成労働福祉センターで「ソーメン代」(夏期一時金)の支給が行われた。支給額は一万六九〇〇円(うち全港湾が「組合費」として四〇〇円天引き)。
 何といっても、今回目立ったのは受給者数が目に見えて減っていること。センター出口付近で労働者へのカンパを訴えていた「釜ヶ崎炊き出しの会」や「釜ヶ崎日雇労働組合」のメンバーも、「こんなに人が少ないのは初めてや」と口にしていた。何でも、前回(昨年暮れの「モチ代支給」時)に比べて受給者数が二〇〇〇人減ったという。
 日雇い労働者が、ソーメン代(モチ代)の支給を受けるには、あいりん職安が発行する日雇労働被保険者手帳(「白手帳」と呼ばれる)を持っていなければならない。
 労働者は、仕事に行くと白手帳に「雇用保険印紙」を貼ってもらう(もちろん印紙代は労働者の自己負担)。これが二ヶ月間で二六枚以上あれば、三ヶ月目に仕事に就けなかった時に「失業保険」(「アブレ」と呼ばれる)が受給できるしくみだ。
 しかし、極端に求人が減っている最近では、探しても仕事に就けず、印紙を貼るのもままならないため、「ヤミ印紙」(非正規の印紙)を買って手帳に貼る労働者は少なくない。それが行政に摘発されると、手帳が没収されてしまう。
 「手帳の没収」という悲劇は、不況下で有効な雇用対策を打ち出していない行政の怠慢が大きな原因だ。しかもこの手帳没収は、日雇い労働者・野宿生活者への福祉切り捨てと連動して行われているから始末が悪い。
 そして相変わらず大阪市・府は「財政難」を理由にした、一時金の支給打ち切りを口にしている。(小比類巻)
2004年09月05日更新
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イラク派兵費用差し止め訴訟のゆくえ
 七月二八日「イラク派兵費用差し止め訴訟(通称「派兵反対関西ゼニカネ訴訟)が提起された。この訴訟は、国が「自衛隊が実施する人道復興支援活動および安全活動支援活動に対し、国費を支出してはならない」との判決を求める。
 原告は、連帯労組の川村賢市氏をはじめとする三五名。自衛隊のイラク派兵で投入される費用の問題に焦点を当てるがゆえに「ゼニカネ」訴訟と名乗る。政府は既に、自衛隊のイラク派兵費用として、四〇〇億円を計上。その上、極めて不明朗な形で支出されている。
  こうした詳細は既に本紙でも取り上げたが、編集部は、この訴訟に原告として参加している。新聞社が裁判の原告になることは「常識はずれ」と言われる。「報道の中立」を侵すことになるらしいが、そもそも「中立」なんておこがましいのだ。マスメディアのいう「中立」とは、強い方・多い方の意見を代弁することだ。理や義はどちらにあるのか?何が正義なのか?という価値判断抜きに事実を羅列すれば多数派の代弁にしかならない。人民新聞は、「中立性」を求めない。まず少数派の意見から発想する。間違いはあるだろう。だからこそ読者からの旺盛な批判を切望する。(H)
2004年09月02日更新
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